スタッフエッセイ 2011年11

住めば都?!実家のつくりかた

おだゆうこ

二人目を妊娠した頃から、どこに根をはって生きていくかを初めて真剣に考え始めた。

京都に憧れて、九州を離れた18歳以降、どこに住まうかというよりは、何をするかによって、便利で手ごろな“仮の住まい”を求めて、転々としてきた。

最初の一人暮らしは、京都の北区、金閣寺が近くの公園感覚であったことが嬉しくて、お気に入りの“我が家”であった。心理士として働き始め、毎日、日替わり弁当のように働く場所が変わる生活で、一日のうちに大阪から滋賀へ移動する週が3日ほどあった。そんな訳で、ズズ〜イと南下し、京都南部のJR沿線近くのアパートへ移り住み、夜11時まで空いているジャスコに滑り込むような、働き三昧の生活をへて、結婚を機に、滋賀県北部に通う夫と、京都や大阪にも行く私との間をとって、3度目の引っ越しをした。

間もなく、子どもが生まれたので、3度目の土地では、自治会行事に参加したり、朝や夕方などは、子連れで集まって遊んだり、お散歩したりもした。ママ友も沢山でき、ご近所づきあいも楽しかったが、ずっとここで暮らしていくという感覚はなかった。

上の子が一歳を目前にした頃に、二人目を授かり、なかなか快適ではあったのだが、小さなアパートは手狭になってきた。夫は以前から、よい土地がないかとネットで検索をしたりしていたが、私は、日々の子育てが慌ただしく、子どもたちと楽しく過ごすことがもっぱらの関心事であった。そんな中、夫が見つけた有力候補の土地を、家族で見にいくことになった。

山と湖に囲まれた別荘地で、宅地ではなく山林として登記されていた。
「いい所だけど、なんとなく淋しい」というのが、私の第一印象であった。淋しいというのは、まずは、自然が多い分ご近所が遠くて少ない。夕方から夜にかけては薄暗く、夜は真っ暗。もちろん近くにはお店も無い。交通の便が悪く、車がないとどこにも行けない。そんなことがひっかかっていて、なかなか決断に踏み出せなかった。夫は直感的に「ここだ!」と思ったようで、後は私の決断待ちということになった。「ずっと住む所なんだから、互いに納得する所にしよう。私が嫌なら他を探す」というのが、夫の考え方だった。

それからというもの、私はほぼ毎日、一時間以上かけて、お目当ての土地に通った。朝や夕方、夜、雨の日やお天気の日・・・いろんな表情を見にいき、またご近所にあたるカフェにも通って話をきいたりもした。今想うと、たぶん、便利で快適な暮らしを手放す不安と、仕事復帰するにあたって、FLC本社や支所その他の講師活動を考えた時に、風の日も雪の日も、電車は止まらずに、ちゃんと時刻通りに目的地までたどり着けるのだろうかという不安が、決断し難い理由だったのだろう。

そんな私に、不動産会社の担当さんが、「“住めば都”とい言いますが、本当にそうですよ。」と話されたことが心に響いた。それは、「今は、“難点”として挙げている要因が、住めば全部“好ましい”要因に変わるから不思議ですよね。そうやって、人はその土地の人間になっていくんでしょうね・・・」というような話をしたのか、私がそんな風に解釈したのかは、もう忘れてしまったが、今もそのことを時に思い出し「全くその通りだなぁ」とクスリと笑えてしまう。そして、最終的な決断の決め手は、何を基準に土地を決めるかということ、夫に「そこが、子どもたちの実家になるということだよ。」と言われたことだ。

それは今までの家さがしとは全く違う視点だった。「子どもの実家、故郷となる場所」と思った時、自分の実家を思い浮かべた。もちろん、家の雰囲気も好きだが、一番に思い浮かぶのは「芦屋の海」だった。そして、近くの「実は丘?!とも呼ばれていた金毘羅山」と「冬になると唯一積雪する皿倉山」、それが私の実家の風景であり、故郷の記憶と共に残っている揺るがない景色だった。そう思った時、ちょっと不便だし通勤への不安はあったが、「やっぱりここにしよう」と芯に思ったのだった。
 
 移り住み1年半が過ぎた。今年で2度目の冬を迎える。本当に“住めば都”で、決めかねていた難点が今では魅力となっており、ここ数年で森が切り開かれ、すっかり顔馴染みとなっていた猿の一家とも縁遠くなった。そして念願だったご近所さんもかなりの数増えてきたことが、嬉しくも、切なくも思うから不思議な話だ。

家を建てる前に、斜め向かいさんに(当時はそこしか家はなく)ご挨拶に行った時、気を付けてほしいこととして、言われたことが「ここはほとんど車も通らないし、この辺りの猫は、道路でお腹を出して昼寝をするから、工事現場の人に、ゆっくり静かに運転するように伝えてください」という内容だった。それを聴いて、ここに引っ越してくることが楽しみになったことを覚えている。そう言えば、突風や天候も気になっていた私に、ご近所のカフェのおばさんも、「この辺は紅葉もきれいだし、鹿もいるし、何より突然山から吹き下ろしの風がビューと吹いてきて素敵なのよ」と少女のように話てくれたっけ。

みんなここの自然が好きで、ここに集まっていることがよくわかった。そして、そういう人たちが住んでいるコミュニティにも興味が湧いてきた。

ここでは、月に数回、地域の職人や芸術家さん、自営業の方たち達がお家市をしたり、年に1回、この地域全体が会場となるイベントがある。オープンハウスをして、イベントを企画して参加するもよし、参加者として楽しむもよし。今の私が楽しみに力を注いでいることの一つは、“我が家で集う”ことだ。子どもの友達やお母さんたちと集まって、遊ぶだけだが、季節の行事を一緒に楽しんだり、保育園や仕事、夫婦関係や子育てについて、あれこれ話をしたり、病院情報や急なお迎えなどの困りごとも仲間同士頼りにしている。これからのシーズンは何かと集まる機会が増えて、大忙しだが、これからもずっと続けていきたいと想っている。

そうしたことが出来るようになったのも、地に足をつけ地域に根を張って生きていく決意をしたこと、それは、どんな自然に囲まれて、どんな風土で、どんな人が住んでいて・・・土地探しから地域の一員になる準備が始まっていたように思う。心のコミュニティだけでなく、営みを通して、心身ともに地域の中で生きていくという感覚を知ったのはこの一年足らずの経験だが、これから年々地域の一員として生きていく中で、新たなコミュニティの環が拡がっていくような予感がしている。

まだまだつくり始めたばかりだけれど、子どもたちにとって、どんな実家になっていくのだろう・・・

(2011年11月)