スタッフエッセイ 2011年11

祖父の兵籍簿

渡邉佳代

10月に、国際セミナー「南京を想い起こす〜戦争のトラウマと和解修復の試み」に参加した。これまでにもセミナーへの参加や、母方の祖父のことから戦争トラウマに関心を持ち続けてきたことは、エッセイでも何度か触れてきた。2007年の国際会議、2009年の国際セミナーへの参加を通して、中国で私の祖父がしたことには、私にも何らかの責任があると感じるようになった。自分が実際にしたことではないことに、どう責任を取るのか、どう謝罪することができるのかが、今回のテーマだった。

今回も、アルマンド・ボルカス氏のHealing the Wounds of History(「歴史の傷を癒す」)に参加して、得られたことはたくさんある。例えば、気持ちのプロセスが進み、中国の人たちへの複雑な感情(怒りや不信感、無関心、嘲り、無力感、孤立感など、「傷つき」から派生した感情)が自分の中にも存在すると気づいたのは、得られたことの1つである。それに気づいて愕然とし、情けなく恥じ入る気持ちになったが、どんな感情も声も大切に扱うことで自分や他者への共感が深まり、安心して自分や他者とつながることが可能になるのだということも改めて体験した。

様々で複雑な感情を抱えながら、帰国して私がしたことは、実際に祖父の足跡を調べることだった。生前の祖父自身や祖母、母からは、祖父は戦争中に満州のハルピンにいたことは聞いていたが、実際にいつからいつまでいたのか、何をしていたのか、どのように生きて帰ってくることができたのか、といった足跡は調べてこなかった。祖父と祖母の亡き今、調べる手立ても分からなかったし、それを行動に移すことは、より家族(特に母)と直面化しなければならないだろうと感じていたからである。実際に調べることは、私の大切な人たちを傷つけることにならないだろうかと恐れ、母や祖父への裏切り感や後ろめたさ、罪悪感のために、躊躇していたのだ。

セミナー参加者の中で、「防衛省防衛研究所というところがある。そこで親族の足跡を調べる人が多いようですよ」と聞き、帰国後、真っ先に電話をしてみた。すると、やはりこうした問い合わせは多いようで、従軍していた人の「兵籍簿」から軍隊の足跡を辿ることができるという。驚いたのは、その兵籍簿を管理しているのが、従軍していた人の本籍地である各都道府県の福祉保健課であったことである。戦後の恩給支給を考えれば、なるほどと思えるが、思いもつかない場所だった。様々で煩雑な手続きと申請の過程では、否が応でも母や父と向き合わなければならなかった。祖父の兵籍簿を取り寄せることへの母の戸惑いと不安、そして私がこれまでに感じてきた罪悪感を含め、様々なことを母と話し合った。その中で母が私を応援してくれている気持ちがあることを知り、また「おじいちゃんも喜んでいると思う」と、母が私の背中を押してくれたことも嬉しかった。今回も日中の和解修復の試みとともに、家族の和解修復と私自身の統合が並行してあったように思う。

問い合わせから1ヶ月を経て、ようやく私の手元に祖父の兵籍簿が届き、思わず目を疑った。祖父は2回、戦争に行っていたのである。第二次世界大戦中にハルピンに行っていたことは、家族の共通理解としてあったのだが、祖父はそれ以前にも中国に軍人として渡っていた。いわゆる「支那事変」であり、その頃の祖父は山西省の大同・太原会戦に参加していたことも分かった。兵籍簿には、日付単位で軍の足跡が記載されている。祖父は運が良いのか、あと2ヶ月同じ連隊にいればノモンハンで壊滅していただろうとか、昭和16年以降でも、ここで軍の編成がなければシベリアに行っていただろうとか、ギリギリのところで命をつないで帰国していたことも分かり、それを母としみじみ共有した。

その後に印象的な出来事があった。11月に立命館大学で対人援助学会が行われ、その際に各務勝博さんのプレイバックシアターの企画に参加した時のことである。そのワークショップの中で、「モノ語り」というサイコドラマをした。ペアになった相手に自分の大切な「モノ」について語り、今度は相手がその「モノ」になりきってメッセージを自分に返してくれるというユニークなワークである。なりきるために「モノ」になった人は、イメージに合った色とりどりの布に身をくるむ場合もある。

私はその時、思いつくものが「祖父の兵籍簿」だった。私とペアになった男性が、私の「祖父の兵籍簿」になって語りかけてくれたのは、「私を掘り起こしてくれてありがとう。気づいてくれてありがとう」で、思わず涙が出た。その時に彼が身にまとったのは、白と黒と赤の布だった。何年か前のエッセイで書いたが、その組み合わせは私にとって特別の思い入れがある。バリの神聖な彫像には、白と黒のギンガムチェックに赤い縁どりのされた布が巻かれている。その色の意味は、バリの人から「この世界を表す」と聞いた。「白は良いもの、黒は悪いもので、両方あるのが世界だし、人間でしょう?でも、人は白になりたい。赤はstrongを表すの。黒を恐れなくてもいいよ、大丈夫だよっていう意味」と。

私とペアになった男性は、直観でその色の組み合わせを選んだという。偶然にしても、私はまた何かに強く背中を押され、励まされたように感じた。白と黒と赤の世界、そして私の中にある白と黒と赤の感情。あの頃より私は、少し成長したのだろうか。どんな感情をも恐れず、これまでに感じたつながりと温かさを支えにして、このプロセスを続けていきたい。その先に何があるのかは分からないが、しっかり見届けたい。それが加害者の子孫としての責任だと、今のところは感じている。

 

(2011年11月)