スタッフエッセイ 2011年8月

手作りを楽しむ

渡邉佳代

毎年、夏休みの帰省で楽しみにしていることがある。それは、姪っ子や甥っ子、いとこの子どもたちや、幼馴染の友人の子どもたちに会うこと。特に、姪っ子や甥っ子のお土産を買って帰るのが帰省の恒例で、毎回頭を悩ませながらも、お土産選びを楽しんでいる。子どもの成長や好みに合わせて、これまでも絵本や人形、アクセサリーなどを選んできた。早くも姪っ子は今年で小学3年生、甥っ子たちはそれぞれ年長組さんと年少組さんだ。3人それぞれ、当たり前だが性格や好みが全く違っていて、とってもかわいらしい。

姪っ子は手作りのものが大好きで、保育園の時は紙粘土、昨年まではフェルト小物作りにはまっていた。私の母が、私が小さい時に作ったものを大切にとっておいて、姪に見せるものだから、姪にとって「佳代おばちゃんは手先が器用な人」と思ってくれているらしい。手先が器用かどうかは分からないが、私は小さい時に何かを作ったり、絵を描いたりするのが大好きで、それこそ寝食を忘れて没頭していたように思う。

私の手作り好きは、母の影響によるものだろう。保育園に入園する時に、お昼寝布団セットの枕カバーに、母が刺繍をしてくれた。三つ編みをした女の子と麦わら帽子をかぶった男の子の刺繍だった。私はお昼寝嫌いの子どもだったが、お昼寝の時間に他の子どもたちが寄ってきたり、先生方が枕カバーの刺繍を褒めてくれたりするので、とても嬉しく誇らしい時間だった。

冬になると、毎年母はセーターを編んでくれた。母オリジナルのデザインで、お花を耳につけたウサギだったり、毛糸のボンボンがセーター一面についていたりして、必ずどこかに「KAYO」と名前を入れてくれていた。今年はどんなセーターができるのかな?と楽しみにしながら、石油ストーブのそばで、楽しそうにセーターを編む母の手先を見ているのが好きだった。母の横で、大きなお菓子の空き缶に入った色とりどりの刺繍糸や、空き瓶に入った様々な形をしたかわいいボタン、フェルトの数々を引っ張り出しては飽きずに眺め、そのうち見よう見まねで鍵針を使ってポシェットを編んだり、ハンカチに刺繍をしたり、また作っては人にプレゼントするようになった。

中学生になると次第に手作りから離れてしまい、思い出したかのように、紙粘土を使ってフォトフレームを作ったり、マフラーを編んだり、コラージュをしたり、絵を描いたりしていたが、それも働き始めて2〜3年目くらいまでに、すっかり離れてしまった。思えばチクチクと手作業をすることで、自分に没頭し、自分の内面を統合し、世界を紡ぎ直していたような感覚だったのかもしれない。一種のストレス・コーピングと言うか、心が満ち足りて、安定していくような治療的意味合いもあったのだろう。それ以降は、ぷつりと制作意欲が湧かなくなり、自分の中でそれをする必要がなくなったのだと思っていた。

それがこの2年ほど、帰省の時期限定で姪っ子と手作りを楽しむようになった。昨年は「佳代おばちゃん、フェルト教えて!」と姪っ子にせがまれ、一緒に果物のフェルト小物を作った。姪っ子と2人並んで「どこまでできた?」などと聞き合いながら、刺繍糸でチクチクとフェルトを縫い合わせる。穏やかで、あたたかくて、ゆったりと流れる贅沢な時間。今年は、かねてからビーズ小物を作りたい!と言っていた姪っ子のために、ビーズ・キッドを買い集めた。カラーワイヤーと20色の丸大ビーズ、そしてビーズケースと子ども用ビーズ小物の本を用意し、自分も小さい頃にほしかったくらいの充実した品ぞろえだ。

ビーズ作りは、ちょうど姪っ子と同じ年くらいの時に、私が周りに呆れられるほど、はまったものである。そろそろ姪っ子と一緒に楽しめるかな?と楽しみにして、帰省前に試作品を作ってみたら、ついつい自分が熱中してしまった。ビーズの犬、花々、サクランボ、傘…小さい頃の手の感覚を頼りに、キラキラ光る色とりどりのビーズ小物ができると、もちろん満足感や達成感はあるのだが、作業中に自分の中にはまり込んでいく感覚や、自分の内面が豊かに満ち足りていくような感覚が何とも心地よかったのだ。

手を動かしながら、ひとつ、ふたつ…とビーズ玉を数え、つなぎ合わせていく作業をしていて、ふとそれが「祈り」のようだと思った。お坊さんたちが数珠を繰りながら念仏を唱えているイメージや、ロザリオの祈りのイメージが湧いたのかもしれない。そのまま祈りのイメージを味わいながら手を動かし続けていると、祈りとは何かを願い、期待することではなく、穏やかに自分とつながり、世界とつながり、大きな流れの中に身を委ねていく感覚を指すのかもしれないと思った。やはり私は手作りが好きなのだ。

結局、帰省までにかなりのビーズを使ってしまい、姪っ子にはビーズを買い足してプレゼントすると大喜び。今回の帰省も時間がなくて、一緒にビーズをする時間はわずかだったが、姪っ子もすっかりビーズの魅力にはまってしまい、今ではお友達にビーズ作りを指南しているそうだ。そんな姪っ子を想像しては、にんまりしている私である。母もそんな風に、私の成長を温かい眼差しで眺めていたのだろうか。いつまで姪っ子がつきあってくれるのか分からないが、今度の冬休みに姪っ子に会える時には、どんな作品を作ったのか見せてくれるかな?

 

(2011年8月)