スタッフエッセイ 2011年8月

人生の正午X− 夏の終わりに

窪田容子

今年の夏も、子どもたちとあちこちに出かけた。ほたる狩り、USJ、プール、石見銀山、夏祭り、花火大会、海水浴。

夫と子どもたちは、友達の家族と和歌山でキャンプをして、川遊びやカヤックをしてきた。子どもたちのサッカーの遠征合宿が滋賀であり、応援にも行った。

お盆休みには、家族で長島リゾートに出かけた。いくつも露天風呂がある温泉にのんびりつかったり、長島スパーランドの打ち上げ花火を楽しんだり、ジャンボ海水プールで遊んだり。高さ23mのフリフォールスライダーを勢いよく滑り降りたら、水着のおしりに穴が・・・。でも楽しかった。

お盆休みの最終日には、縁あって、大文字の送り火に点火をさせてもらう機会に恵まれた。夕方、銀閣寺橋の辺りを出発し、大文字山の山頂を目指した。ヒグラシの蝉時雨が降り注ぎ、時折山から吹く風が心地よい。点火場所に到着すると、たくさんの方の願いが書かれた松割木や護摩木が火床に組まれている。私も家族の健康と幸せを願って護摩木に記し、置いてもらう。

ここからは京都の町を見渡すことができ、あそこが吉田神社で、あそこが御所だよね、などと話しているうちに、どんどんと日が暮れ、町の灯りが鮮やかに見え始めた。山上の弘法大師堂では灯明がともされ、読教が始まり、護摩酢がふるまわれる。

午後8時には東日本大震災を受け、一斉に黙とう。その後、「南の流れはよいか」「北の流れはよいか」「字頭よいか」「一文字よいか」のかけ声と同時に、大松明が振りかざされ、それを合図に私も送り火に点火した。私が火をつけた場所は、大の字の左の払いの中程。

めらめらと燃えさかる炎からは、火の粉が飛び散り、じりじりと熱く、怖いくらいに迫力がある。大きな炎がいくつも連なる壮大な光景を眺めていると、なぜか人って小さいなと思えてくる。下を見ると、カメラのフラッシュの光が、星のように瞬いている。大文字山に少し遅れて、右手の山に妙法の文字が浮かび上がり、続いて船形が浮かび上がってきた。遠くには小さく左大文字と鳥居形も見える。

激しく燃えさかっていた火が落ちてくると、ふと寂しさが胸をよぎる。夫も同じ気持ちだったようで、「なんか寂しいね。夏が終わっていくね。」と言葉を交わした。

家族でたくさん遊んではしゃいだ夏が終わっていく。こんな夏を、これから幾度も過ごせるわけではない。この夏、中学生の上の子は、家族のお出かけの半分にもついて来なかった。家族という世界を離れ、自分の世界を築きつつある上の子。数年経てば、中の子も下の子も同じ道を通っていく。

小さくなった火をぼんやり眺めながら、私の今は、季節に例えるといつ頃なのだろうと思う。ぎらぎらと太陽が照りつける夏はすでに通り過ぎた。円熟の秋というには、未熟すぎる。終わりかけの夏、秋への移り変わり、ちょうど今のような季節なのかもしれない。

この夏、我が家のお楽しみはまだ少し残っている。それが終わればいよいよ夏が終わり、秋が来る。秋は、私が大好きな季節でもある。

人生の夏の終わり、秋への季節の移り変わりのこの時期を、私ももうしばらく楽しんで過ごそう。そして、希望を持って秋を迎え入れたい。これまでの季節とは違う、人生の色合いに出会えることを楽しみにしながら。

(2011年8月)