スタッフエッセイ 2011年4月

誰かの大切な思い出を守る

桑田道子

三陸沖で発生した大地震から1か月強が過ぎたが、今も東北・関東地方では毎日余震が続いている。こんなに離れたところから、間接的に知りえた情報から被災地の方々のご様子を申し上げるのは適切ではないかもしれないが、本当に、一日も早く、心穏やかに過ごせる日々がくることを祈っている。東北地方太平洋沖地震に被災された皆様、そのご家族の方々に心からお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方々のご冥福をお祈り申し上げます。

あるテレビ番組で被災地の様子が流れ、そのなかで、震災による津波に流され海水や泥で汚れた写真を集め、洗浄してきれいな状態にし、持ち主のもとへ届くよう活動されているボランティアの方々のことが紹介されていた。この活動をリードされていたのは、自らも被災された方である。ご自身の仕事の復旧の見通しがたたないなか、避難所に集まる膨大な数の写真を目にし、「持ち主に返そう」と、この終わりのみえない作業に取りかかられたのだ。

泥をかぶった写真は汚れているだけでなく、くっついてしまっていたりもする。それを1枚、1枚、ぬるま湯につけ、丁寧にはがし、汚れを手で撫でて落とし、乾かしていく。汚れが落ちないからと強くこすってしまうと写真が傷んでしまうので、優しく撫でて汚れを落とす。そしてきれいな状態に戻り、乾いた写真をアルバムに収める。まだ寒い東北の地の屋外で、根気のいる作業を黙々となさっていた。

この姿を見聞きした近隣の被災者の方や地元のボランティアの方々が協力され、さらには「私のがあった!」「写真をみつけていただいた」とこの活動に加わるボランティアの輪が広がり、今では大手フィルムメーカーも現地に赴き、写真プリントの状態に応じた洗浄方法をアドバイスしたり、必要な消耗品を提供して、支援しているとのことであった。

泥にまみれ何が写っているのかわからない状態のものであっても、1枚1枚が誰かの大切なひとときであり、その思い出を守っておられる姿がとても印象的だった。なかにはこの震災で会えなくなった人との大事な写真を再び手にすることができる方もいらっしゃるだろう。放送では、「家ごと流されたので、ひとつでも何かあれば…」と探しておられる方もいらした。

今回のような、想像をはるかに超える事態が起きたときに、何ができるわけでもないのに駆けつけたいような衝動にかられ、その先には何もできない無力感を伴う。阪神・淡路大震災のときに大阪に住む高校生だった私は、炊き出しや託児のボランティアに参加したが、「え?ここがお手洗いなの?」と思ったと同時にわいた罪悪感は今でもリアルに思い出す。何か手伝えることがあればと真剣に考えて、来た先であっても、「被災」が他人事な自分がよくわかった。

だから、決して、いま被災地におられる方々の気持ちが理解できるわけでも、何か具体的に力になれる大きなことができるわけでもない。そしてそのことに申し訳ない気持ちはやはりある。けれども、今いる場で、自分が接する方々を大切に、自分が出来ることを精一杯していくこと、積み重ねていくこと。それがたとえ少しずつであっても、身近な人と手を取り合いたい気持ちを大切にしていくことが、次へとつながっていくのではないかと思う。そう信じて、一日一日を感謝して、大切にしていきたい。

(2011年4月)