スタッフエッセイ 2011年4月

泣いて笑って―そんな人の生のおもしろさ

安田裕子

あはあははは・・・きゃっきゃ・・・あうあうあうぁぁぁぁぁぁ・・・う゛ぁう゛ぁう゛ぁうぁうぁ・・・きゃはきゃはは・・・ぎょえーんぎゃーん・・・あーあーあーあー・・・くぅくぅくぅ・・・ぎゅぅきゅぅ・・・ふぅぅぅん・・・

これはいったいなんですか???

わけあって赤ちゃんがそばにいたこの半月間。数十年前の遠い昔にきょうだいが誕生して以後、経験してこなかった生活空間である。そんな日常のなかで、赤ちゃんのおしゃべりをたくさん耳にした。そう、ズバリ、赤ちゃんのことばである。

それにしても、敢えて文字に書き起こしてみたものの、耳にした赤ちゃんの発することばを擬声語としてうまく表現できたとは到底思えない。われら大人になった者も乳児期に発したはずではあるが、今となってはもう忘れてしまったことばである。

しかし、そうしたことばを発しながらの、赤ちゃんの目線の動きや表情の変化、手足の動かし具合などから、赤ちゃんなりに伝えようとしたりアピールしていることが、ぼんやりとつかめてくる。こちらの働きかけに応じたり、少し離れた場所にいるお母さんの反応を引き出そうとしてみたり。そのなかで、キャハハとご機嫌に愛想よく笑顔を振りまいていたかと思えば、突然にうぇーんと泣き出したりと、クルクル変わる赤ちゃんの有り様。そんな様子を見ていると、周囲の身近な他者との関係のなかで、笑いと泣き、喜びと悲しみとが、決して背反するものではなく一直線上にあるものなのだと、思えてくる。

「禍福はあざなえる縄のごとし」「人間万事塞翁(さいおう)が馬」という表現がある。いずれも、人生の幸福や不幸は転々として予測できない、ということを意味している。不幸であるということや、悲しみの感情というものは、得てしてマイナスのこととしてみなされる傾向にあるだろう。しかしそれらは、幸福や喜びの感情と表裏一体のものである、ということなのである。良いこと・幸福なことだと思っていたことが、悪いこと・不幸なことに転じたり、あるいは逆に、悪いこと・不幸なことだと思っていたことが、良いこと・幸福なことに転じるという、人の生のおもしろさ。そうしたリアルな人生を、赤ちゃんが等身大で体験し、喜びや悲しみの感情を、笑いや泣きという行動でもって、繰り返し全身で表現しているのである。

笑っているかと思えば泣いており、泣いているかと思えば笑っている、そんな赤ちゃんの豊かな有り様。感情が分化していく発達プロセスの途上にある赤ちゃんに、幸も不幸も、喜びも悲しみも、しっかり経験し感情を表現して自分らしく豊かに生きていこうよね〜♪と、励ましのエールをもらっているような気がした。

(2011年4月)