スタッフエッセイ 2011年3月

道しるべ

おだゆうこ

先日、勤務先の学校の卒業式に参加した。黙祷から始まる卒業式に参加したのは初めてのことだった・・・。

今月11日に東日本を襲った巨大地震と津波の大災害、そしてその影響による、原発の脅威。どれをとっても、想定をはるかに上回る被害であり、3重の苦難を強いられている被災地の方々のことを想うと、言葉が見つからない。

今、エッセイを書いている我が家付近は一面真っ白。昨日から被災地と同じく、氷点下を記録し、大雪に見舞われている。春のお彼岸を目前にして、この吹雪と積雪の量はどうしたことだろうか・・・避難所生活や救助活動をされている方々にとって、本当に厳しすぎる気候状況。せめて、お天気だけでも暖かく、日の光が見られれば気持ち的にも体力的にも少しは励まされるだろうに・・・。真っ白な雪がどんどんと降り下りてくる、灰色の空をこんなにも恨めしく感じたことがあっただろうか・・・。この苛立ちは、気持ちであれこれ想っているだけで、思いだけが空回り、節電のチェーンメールに踊らされたり、実際は何もできない自分への苛立ちでもあるのだろう。

想えば、2人目を助産院で出産する時、原発のこと戦争のことを念頭に置いた生活を、助産師さんを通じて考える機会があったはずだ。その時は、日常生活にほんの少し、節電や環境のこと(エコバックの利用やリサイクル)、銀行等の貯金のシステム(自分の預貯金がどの国とつながっているか)などを考慮し、少し手間で面倒でもそうした生活をしようと思っていたはずだったのに、しばらくして気がつけば、やはり便利さや快適さ、手軽さという目先の利益や忙しさに負けて、結局は何もできていない自分がいた。

今回の津波や地震の被害は、天災という人の力の及ばぬ範疇のことも大きくあると思うが、原子力発電所の問題に関しては、本当に色々と考えさせられる。
今や核エネルギーによる発電は日本の3割を占め、発電所は日本全土に点在する。その保有数は世界第3位。日本人の、私の生活を維持していくうえで、無くてはならないものとなっている。原子力発電と原子爆弾の分かれ目は、どれだけ精密に核エネルギーの力を制御できるかにかかっているという。核分裂反応による物凄いエネルギーをうまく制御しながら、原爆ではなく、ライフラインのエネルギーとして使いこなすようにするためには、かなり正確で、精密な技術が必要であり、日本はそれができる先進国であるということになる。ここまで書き進めてくると、何だか、原発のことを言っているのか、核保有の話をしているのか分からなくなる。使用済み燃料の処理も含め制御を誤れば、核兵器となる原子力を人の力でこれから先も、完璧にコントロールし続けるというのは本当に可能なのだろうか?!

しかし、そこで問題となってくるのは、自分自身のことだ。じゃあ、そのことに関心を寄せ、詳しく調べてみたのか?そして、自分自身の生活を見直して、生活のスタイルを変えることができているのか?結局、気にしていたり、偉っそうなことを考えてみても、部屋の電気、エアコン、電子レンジ、ポット、コーヒーメーカー、トースター、ホットカーペット、携帯、パソコン、電話、等・・・実際、私の生活はそうした家電製品に囲まれた快適生活にすっかり依存してしまっている。便利な生活をしているのに、なぜか、仕事や日常生活に追われて、目先の自分達の暮らしと、目先の利益しか考えられていない。そうした、悪循環に気付きつつも、見ないようにしながら、とっぷり現代の生活にはまっている自分自身を、本当に見直すことが出来るのか?自分自身の根底を揺さぶられている気がしている。

大学時代、何故かわからないけれど、ボーイスカウトのサークルに入部して4年間活動をしてきた。今まで全くボーイスカウトの活動をしたことがなかったし、アウトドア派と言うよりは、寝るときは暖かい部屋で寝心地の良いお布団がいいというインドア生活の私でした。なぜだか、電気のないところをわざわざ見つけてキャンプをするのだ。もちろんお湯はないので、シャワーも水。料理をするときはマキで火をおこして・・・。初めての時は楽しかったりもするが、ボランティア活動で何日もキャンプする時には、早くお家に帰りたいとおもったものだ。当時は、アウトドアの本来の目的なんかよくわからなかったけど、今になって少しだけわかるような気がする、便利で快適な環境の中では、今ある暮らしが“あたりまえ”になってしまっていて、考えなく、感じなく、見えなくなってしまっていることが、沢山あるということ。今の暮らしは当たり前なんかではなく、色んな人に支えられていること、現代社会のシステムで言うと色んな犠牲の上に成り立っていることを、不便な中、自然の中で生活することで、今ある生活のあり方に初めて目が向く。普段実感が得にくくなってしまっているが、人は、自然という環境の中、人と人の関係の中に生かされているんだということにも・・・。

今の仕事をしてひしひしと感じることの一つとして、人は環境の中で生きていく生き物なのだと思う。人は、一人では弱いから、一人では頑張れない。人とのつながり、そしてそれをとりまく環境(コミュニティ)によって変わっていくことができるのだと思う。被災地の方々は今まさにそうやって、生きる知恵をだしあって、協力し、繋がっておられ、そういう姿は人として本当にエンパワーメントされ、こちらが勇気づけられる。

私も、ごちゃごちゃ考えてないで、目の前にある仕事、子育てとクライエントさんの安心・安全に少しでも役立つこと、そして、被災者の方たちへの一日も早い安心と安全が回復するようにと、祈ること、出来る範囲での節電と募金をすること。そして、今の生活がどんな犠牲の上になりたっているのか本質にしっかりと目を向ける努力をし、目先の利益ではなく、地球全体のこと、子どもたちの将来を考えた生活へと、まずは、自分ができるスモールステップから(中途半端にやっていた分別や行き当たりばったりのエコバック、うっかり電気の消し忘れ、めんどくさいからそのままの待機電力の見直し、この機会に原発についてきちんとしらべる、良いと思う活動にエネルギーを使う)着実に、面倒くさがる自分から脱皮し、丁寧に生きることを心がけていきたいと思う。そして、一人ではくじけてしまいそうなので、家族や、すでにそういう生き方をしている人とつながりながら、自己啓発に努めたいと思っている。そして、連日の報道による不安ややりきれない気持ちを膨らませすぎず、生きていることに感謝して、できるだけ笑顔で、元気に一日一日を大事に暮らしていきたいとおもっている。

最後になりましたが、被災地の方々へ心からお見舞い申し上げるとともに、一日も早い復興をお祈りいたします。また現地へ救助や支援員として、またボランティアとして活動されている皆さまに、心よりお礼申し上げます。

(2011年3月)