スタッフエッセイ 2011年3月

幸運

窪田容子

昔から自分は運がいいと思っていた。「運がいい方だと思う?」と尋ねられたら、ためらいもなく「うん、そう思うよ」と答えていた。

先日、夜の9時をまわった頃に、上の子が腹痛訴えだした。痛くて耐えられないと言うので、夜間の急病に対応してくれる病院に連れていくことにした。仕事がかなりハードで疲労もかなりピークに達していた週の終わり頃だった。だけど、その前の日でなくてラッキーだった。前日は、全く余裕がなく、家に帰ってからも翌日の仕事の準備を必死でして、慌てて寝て、朝早くから家を出て夕方遅くまで目一杯働いていたから。

下の子達には、「病院に行くから寝といてね」と声をかけて、病院に向かった。車を走らせながら、子どもたちがもっと幼い頃は本当に大変だったなぁと思い出していた。子どもだけで留守番が出来ないので、一人を病院に連れて行くためには、たとえ夜遅くても全員を車に乗せて病院に向かわなければならない。職場にいる夫に電話をして、連絡がつけば、最寄りの駅からタクシーで病院に来てもらい、どちらかが病気ではない子達を先に家に連れて帰るという日もあった。

この日は、帰宅したのは午前1時過ぎではあったが、子どもが幼かった頃のことを考えれば、なんて楽になったのだろうと思う。ありがたい。

子ども達が幼い頃、一番大変だったのも病気の時だった。子どもの病気のことを心配するだけならいいのだが、私も夫も仕事を休めない日には、翌日保育所に行けない子どもを誰に見てもらうのかを考えなければならない。まずは病院に連れて行き子どもの病状を確認し、薬をもらう。次に、保育サポーターさんたちに電話をかけ、来てもらえる人を探す。簡単に打ち合わせをし、連絡事項のメモを作成し、必要な物を準備する。その後、気持ちよく過ごしてもらえるように、散らかっている家の片づけを始める。病気が軽い場合は、病児保育所の予約を取る。前の日に発熱したならまだしも、朝に発熱が分かった場合は、出勤するまでのほんの短時間で、これらのことをしなければならない。

だけどいつも幸運に恵まれた。保育サポーターさんに来てもらいやすい曜日でラッキーだったり、翌日の仕事が早めに帰れる日でラッキーだったり、夫が遅めに出られる日でラッキーだったり。そんな時は、「今回も幸運の女神さまが微笑んでくれた。神様ほんとにありがとう!」なんて思っていた。普段は信仰心もなければ神頼みもしないのに、こんな時だけ登場する神様である。

そう、いつもいつも幸運に恵まれた。しかしある時、「ん?あれれ・・・」、ふと疑問が頭をよぎった。保育サポーターさんに来てもらいやすい曜日でもなく、私も夫も仕事がぎっしり詰まっている日でも、明後日は、余り仕事が忙しくないからラッキーなどと思っている自分に気がついたのだ。

これまで自分は運がいいと思ってきたが、いつも幸運に恵まれていたというばかりではないのかもしれない。もしかして、自分自身が、どんな状況の中でも良い面を見つけてはラッキーだと思っているのではないだろうか。

ピンチの時に、私自身が意識的に良い面に注意を向けようとしているわけではない。頭が勝手に良い面を見るように働くのだ。これを心理学の用語では自動思考と呼ぶ。ある状況に出くわして、意識せずとも自動的に出てくるとらえ方のクセのようなものである。

私はマイナス思考にとらわれやすいとか、悲観的だとか、あの人は被害的だ、楽観的だなどということがあるが、これには自動思考が影響している。状況ばかりではなく、その状況をどうとらえたかによって、怒りや不安、落ち込み、そして喜びや幸せな気分が引き起こされる。(詳しくは、http://www.flcflc.com/monthtopics/07/0703.htmlをご参照下さい)

自分は運がいいと思っている人は、状況の中に幸運を見つけ出す自動思考を持っている人なのかもしれない。幸運の女神さまとは、実は、自分自身の中にいるのかもしれない。そして、幸運の女神さまが自動思考ならば、それを育てていくことも出来るのだと思う。

(2011年3月)