スタッフエッセイ 2011年2月

歩くこと

前村よう子

いつの頃からだったか、歩くのが好きになった。ただひたすら歩くのではなく、知らない道や、ほんのちょっとだけ知っている道を自分の足で歩いて、頭の中に自分なりの地図を描くのが好きなのだ。

高校生の頃、とある冬休みにこんな宿題が出された。「自宅から半径8キロ以内の神社を探してレポートを書くこと」。早速地図を買って、自宅から半径8キロのラインを引いた。地図を見ているだけでウキウキしてきたのを覚えている。自転車で廻ることもできたが、なぜか私は歩いた。たぶん「ダイエットにもってこい」なんて浅はかにも思ったのだろう。

一日目は、道に迷ってしまい、神社をレポートするどころではなかった。地図を自宅に忘れてしまった上に、小学校卒業と共に引っ越し、遠く離れた私立中学までバス通学していた為か、自宅周辺の道は全く知らなかった。迷うのも当然だった。周りが暗くなった頃、バスの中からいつも見ていた建物まで辿り着くことができ、ようやく自分の位置を把握できた。

二日目は、前日の反省を活かし地図と水筒、方位磁石を手に出かけた。今の時代なら、携帯電話があれば、GPSで位置確認もできるし、地図を見ることもできるが、約30年前にはそんな便利なものはない。それでも地図も無い時代に未知の世界へ旅立った先人に比べれば恵まれていたのだなと思う。地図があるだけで、前日よりはるかにスムーズに神社巡りができた。

三日目、身体のあちこちが筋肉痛でガシガシだったが、身体は軽く、気持ちも軽く、何より地図に書いてある平面が、自分自身で歩いて確かめると全く異なったものに見えてきて、地図の上に立体が展開しているように見えてきたのが楽しかった。

この体験以降、知らない道を地図片手に歩くのが趣味の一つになった。大学時代、下宿周辺を歩き回った。下宿から東へ歩くと、芦屋・西宮・尼崎と続く。西宮で山側へ折れ、夙川公園の桜を見ながらひたすら北上するのも好きだった。

以前のエッセイに書いたこともあるが、妊娠中もあちこち歩き回った。非常勤講師の仕事を始めてからも、学校の周辺や近隣の街をひたすら歩いている。

そんな私でも、昨年の夏は歩くのが苦になる日が何度かあった。いつもなら競歩とまでは行かないが、他人様よりは早足でスタスタ歩くのに、昨夏は「なんでこんなに足が前に進まないんだろう?」と自分でも不思議になるくらい歩けない時があった。それは二つの高校で掛け持ち授業をすべく、午前の授業(1〜3限目まで連続)を終え、午後からの学校に向かって歩いている途上のことだった。午前中に授業で力を使い果たした上に、灼熱の太陽に焼かれての移動はさすがにきつかったのだろう。

自分が思うほど身体が動かない、無理がきかない。「これが年を重ねるってことなんだな」と自覚しつつ、今年も歩き続けよう。

 

(2011年2月)