スタッフエッセイ 2011年2月

恐怖症の克服

西 順子

つい最近まで飛行機恐怖症だった。怖くても、飛行機に乗ることを回避することはなかったが、一人では乗れなかった。一人で乗らないといけないような状況もなかったが、家族旅行などで乗る時は、決死の覚悟を決めて乗っていた。それが、一年前から一人で乗る必然性が生じた。そして昨年ようやく一人で飛行機に乗れるようになった。

初めて一人で乗れたのが愛媛行きの飛行機。講師の仕事のために一人で搭乗したが、ほぼ平常心を保ちつつ、無事に空港に降りたったときのしみじみとした感動は忘れない。一人でタラップを降り、地上を歩いているとき、「乗り越えられたんだ」という穏やかな喜びを味わった。いつの間にか恐怖を克服できていたことが嬉しかった。

自分の恐怖体験とその克服の過程から、たくさんのことを学んだ。この場を借りて、自分の体験と学んだことを振り返ってみたい。

飛行機恐怖症になったきっかけは、1995年の阪神大震災である。それまで何も思わずに普通に飛行機に乗れていたのだが、震災以降、飛行機に乗るのが怖くなった。震災直後、電車で揺れたときに一瞬恐怖を感じる、ということが数回程度あったと思うが、いつものように乗り物には乗ることができていた。でも、なぜだかわからないが、飛行機にだけとても恐怖を感じるようになってしまった。

私自身が震災体験で直面したのは「大きな揺れ」だった。一瞬何が起こったのかわからない、15階建ての鉄筋コンクリートの建物がゆっさゆっさと揺れることは想像を絶していた。ゴジラが襲ってきたのかと錯覚するような「怖い」体験だった。だから、飛行機が怖いのは「揺れる」のが引き金になっていると理解していた。でも何も被害にはあっていないのに、「こんなに怖がるなんて変」と恥ずかしいような、申し訳ないような気持ちでもあった。

「揺れへの恐怖」が「死の恐怖」とつながっていると理解したのは、EMDR(眼球運動による脱感作と再処理)のトレーニングでだった。EMDRはPTSD(外傷後ストレス障害)に効果があるとされるトラウマ治療法だが、トラウマ臨床に役立てればと、2000年に最初のトレーニングを受けた。実習では、自分自身の不安体験を扱うが、私は「震災での揺れ」を取り上げた。震災体験時の記憶をイメージして、眼球運動を行うなかで、驚いたことに震災にまつわる他の記憶も出てきた。出てきた記憶は、震災から10日後の頃、ボランティアとして被災地に出向いたときに、そこで目撃した光景だった。起こっている出来事に対して、自分はあまりにも無力であった。大阪に戻ってきた時にも神戸と大阪のギャップに茫然とした。そのいくつかの光景を思い出したとき、私にとっての震災体験には、神戸に入ったときに体験したことも重なっていると理解した。そして、「大きな揺れ」に直面したとき、一瞬「死ぬかもしれない」と感じたのだと気がついた。

日常生活のなかでは、そのような恐怖を感じることはなかったが、飛行機に乗ったときにだけ「もしも何かあったらどうしよう」と死の恐怖に圧倒されそうになるのだと理解した。今までオブラートのように自分を守ってくれていた「世界に対する安全感、信頼感」に亀裂がはいったということだと理解することができた。

トラウマ反応は、「いかなる状況でその出来事を体験したか」という個人の主観体験(意味づけ)が大きく影響すること、誰もが「予期できず、防衛不能」という恐怖の状況に曝されるとトラウマを被る、と言われている。人と比べずに、私にとっての恐怖体験を認めてあげてもいいのだと受け入れることができた。

でも、原因がわかったからといって、恐怖がなくなるわけではない。恐怖モードのスイッチが入るのは、空港についてから。「怖い。嫌だ。大丈夫やんな?」と一人でぶつぶつ。家族は夫も子どもも怖がらないので、ニコニコしながら「大丈夫って!!」と励ましてくれる。

飛行機に乗っている間は、自分を落ち着かせるために、臨床のために学んだ方法をいろいろ使ってみた。2003年頃は、木村拓哉主演のテレビドラマ「GOOD LUCK!」を毎週欠かさず見ていたが、フィクション・ドラマとはいうものの、空の安全のために日々努力している人がいることを知ることはとても役立った。飛行機に乗っているときは、テレビドラマの映像を思い出し、主題歌「RIDE ON TIME」の音楽を思い出し、肯定的なイメージを思い浮かべるようにしていた。一種のイメージトレーニングだった。また、認知行動療法を学んでからは、「もし・・したらどうしよう」等、頭に浮かぶ否定的な認知にストップをかけていた。そして、2年前からトラウマ治療法のソマティック・エクスペリエンス(SE)を学び、飛行機に乗っている間も呼吸に注意を向けて呼吸を整え、身体が落ち着いている状態で「今ここに」いられるよう意識を向けていた。

昨年はSEトレーニングで、自然災害についても学んだが、自然とのつながり、大地とのつながりを取り戻すことが大事であると聞いて、なるほどと思った。近年、大自然と接すること、スピリチュアルなものとのつながりに心惹かれていたので、とても納得した。

それと何より「慣れる」ということが大事なこともわかった(曝露療法とはこういうことなんだと納得した)。昨年から飛行機に乗る機会が増えることで、次第に慣れていくことができた。慣れるために、とても助けになったのは、安心できる人がそばにいてくれたことだった。家族旅行のときは夫や子ども、仕事や学会・研究活動のときはFLCスタッフが必ず一緒だった。皆「大丈夫!!」と笑顔で受けとめくれて、そして傍にいてくれた。そして、数時間の恐怖を乗りこえたあとは、旅行は楽しく、研究活動もとても楽しく有意義な時間を過ごすことができた。

そして昨年、初めて一人で飛行機に乗る必然性がでてきたとき、冗談半分に夫を誘うと、夫は乗り気になって観光目的で同乗してくれた(現地では別行動。私は仕事)。そしてようやく、愛媛に行く時には「一人で乗れる」と思えた。そして、無事一人で乗ることができた。

怖いけど、恐怖を避けることなく「慣れる」までこられたのには、安心できる人のおかげであると、今つくづく感謝の気持ちである。

今年に入っては、長崎、熊本に飛行機で行ってきた。熊本から帰りの便では、窓から外の景色をしばらく眺めることができた。ドキドキしながらも、暗闇のなか、雲の上で光り輝いている月を見ることができた。とても綺麗だった。

一人で搭乗できると言っても、怖さが全くなくなったわけではない。今、一人で搭乗するとき、私の安心の拠り所は、客室乗務員さんである。そして機長さんである。揺れると今でもちょっと怖いが、客室乗務員さんの、笑顔で落ち着いた物腰をみると、「大丈夫」と安心することができる。また機長さんの機内放送に、「安全を守ってくれているんだ」と信頼を寄せることができる。

恐怖症の克服には、いろんな療法を取り入れることも役に立ったが、何よりも助けとなり、また今も助けられているのは、安心できる「人」がいることである。人と安心感と信頼でつながることで、「今ここ」に安全を感じられる。今ここに生きていることに感謝の気持ちである。

カウンセリングでは、来談された方が、不安、恐怖、回避・麻痺、解離など、さまざまなトラウマ反応を乗り超えていけるよう、まずは安全な場所を作り、さまざまな療法を使いながらも、安心できる「人」として存在し、安全へとナビゲートしていけるよう心がけている。

トラウマの回復とは「つながり」を回復することである。治癒がおこるのは本人のもつ自己治癒力であり、それは自分自身とのつながりを回復することであり、家族や友達、周りの人々など、安全で安心できる人とのつながりを回復していくことでもあると思っている。

(2011年2月)