スタッフエッセイ 2010年12月

誕生日

前村よう子

今日、たまたま47回目の誕生日だった。誕生日というのは、祝ってもらえる日なのだと知ったのは、幼稚園の年長さんの時だった。入院していた病院で叔母や看護師さん、同じ小児科病棟で闘病していた小学生のお姉さんやお兄さん達が、クリスマス会の時に一緒に祝ってくれたのがきっかけだった。でもそれ以降、誕生日というのはしばらく何もない日だった。弟が喜ぶのでクリスマスのケーキはあったが、誕生日には取り立てて何もなかった。商売をしていた両親にとって、12月は年末商戦まっただ中。子どもの事にかまけている暇などなかったのだろう。「だいたい12月下旬なんて時に生まれたのが悪い」と言われていたし、私自身もそう思っていた。

中高時代、友達と誕生日のプレゼントを交換する時も、「クリスマスと一緒でええやん」扱いで、誕生日プレゼントは貰ったことがなかった。それも「12月に生まれた私が悪い」と思っていた。(春休みや夏休みに生まれた皆さんも似たような経験がおありかも?)

仕事をし始めてからは、誕生日は自分で自分を祝う日となった。日頃は手が出ないような食材(と言っても、蛸や海老、グラム400円の牛肉レベルだが)を自分の為に買い込み、私の好きなメニューだけを作って食べる。あるいは、ちょっとだけ贅沢なランチを一人で食べに行く。そして、映画かミュージカルを一人で観て、自分へのプレゼントを何か一品購入して帰宅。つまり、一人誕生会を楽しむようになった。今もそれは変わらない。

娘や夫の誕生日は皆で祝う。ご馳走を作り、ケーキにはロウソクを立てて、歌を歌ってお祝いする。プレゼントも渡す。なのに、なぜ自分の誕生日だけ一人なんだろう。今年初めて疑問に思った。理由は簡単。誰のであろうと誕生日を一生懸命準備するのは私だけだからだ。

FLCのスタッフとなって、まだ子ども達が小さい頃、毎年クリスマス会を子連れで実施していた。その時、村本から貰った誕生日プレゼントがとても嬉しかった。考えてみれば、誕生日にもらうプレゼントなんて入院していた5歳の時以来だったのだから嬉しくない訳がない。それどころか、ものすごく不思議な気持ちだった。プレゼントを貰うことに慣れていなかったからだろう。こんなに嬉しいことは、家族に還元したい。そうか、あの時の嬉しさが、この誕生日準備につながっているのかと納得した。

今年の誕生日は日曜日だったので、ケーキとお総菜を購入し「誕生日」宣言をして食卓を囲んだが、夫は「そんなに年を取るのが嬉しいんか?ケーキとかデパートの総菜とか無駄遣いやな」で終わった。こんな事だったら、例年通りの一人誕生日にした方が良かったかなと少し寂しい気持ちでいたら、娘が「おめでとう」とこっそりプレゼントをくれた。学校で使えそうなリラックマのペンケースとミニファイルを選んでくれたらしい。なんだか嬉しくて、村本に誕生日プレゼントを貰って以来の嬉し涙が今、頬を伝っている。祝ってくれる人が、自分に以外にいるって、それだけで嬉しい。たとえ何歳になろうと。

世界には誕生日を祝うどころか、食べるのに必死、生きるのに必死な方々があふれている。そんな状況にあって、何を甘えたことをと言われそうだが、私はこれからも家族の誕生日はしっかり祝っていくことだろうな。

(2010年12月)