スタッフエッセイ 2010年11月

スピード

長川歩美

最近、いろんな分野で移り変わりが激しいなぁと思う。どのチャンネルでも活躍していたお笑い芸人が、半年後にはいなくなってしまったり、コンビニで見つけて気に入っていたお菓子が、いつのまにかどこにも見かけなくなってしまったり。(少し前に気に入っていた、あの“ふわ丸”はどこにいってしまったのか・・・?!)と、ついつぶやきたくなる(笑)。

新しいものが次々にでて、古くなったものはその価値がすぐに色あせたかのように消えていくけれど、売れたと思ったらさっさとだめになるなんて悲しすぎる。まぁその中で生き残っていく人やモノは、さすがにすごいな〜と思うのだけれど。「最近のお笑い番組では1アーティストあたりの時間が短すぎて、あれでは芸が育たない」とベテラン芸人が嘆いていたが、もう少し息長く、時間をかけてよいものが熟成していくような環境があってほしいと願わずにはいられないこの頃。

幼い頃からこのスピードと量の渦中にいて、ひとつのものや情報、人との出会いをじっくり味わう喜びや、関係をつくる力、ほんとうにいいものを生み出したり、大切なものを見極める感性が育つのだろうか?と現代のこどもたちが心配になるが、自分の中にポリシーの核が育てば、多様性に開かれて、視野が広がり、鍛えられるのかもしれない。その核が育つ環境を我々がどうつくるかということか。

かねてからの願いなのだが、お笑いの世界に「一発屋劇場」のようなものをつくって欲しいな〜と思う。何年もかけてつくってきた芸が一躍ブームになったはいいが「売れすぎた」という理由で飽きられ、消えていってしまうのは、実にもったいない。こどもの夢に「努力して一躍売れたらダメになる?!」と影を落とすような気もする。そこそこ売れるに留まるほうがむしろ息が長いのは何故?思えば吉本新喜劇は、同じギャグを繰り返す魅力的な劇団員が繰りなすお決まりのストーリーで成り立ってきたではないか。「そんなの関係ねぇ!」「左へ受け流す〜♪」「グーググーググーグー, コォーッ!」等々が、使い捨てられるのではなく大切な燻し銀芸として熟成していったなら、お笑い業界がもっと豊かに層厚いものになるはず・・・などという考えは、実力社会のこの業界では甘すぎると一蹴されるだろうか。

つい最近、前職で縁のあったバンドのライブを聴きにいく機会があった。第一印象は古いヨーロッパのキャバレー、はたまたお化け屋敷を舞台にしたような怪しい雰囲気。ライブを一人で聴きにいくなんてためらわれるのだが、音楽は超一流。私が働いていたメジャーなレーベルからデビューするには丁寧に誠実に音楽をやりすぎている、そんなバンドだった。えんじ色の幕が開いて演奏がはじまると、煙もくもく、相変わらずのなんとも怪しい世界が展開する。さて音楽は・・・すばらしすぎて涙がでた。この十数年、本当にやりたいことを変わらず丁寧に誠実に、この人たちはずっと紡いできたのだと瞬時に思った。私はこの人たちと同じ純度で丁寧に誠実に、偽りなく仕事を紡いできているだろうか?と思わず自問自答した。またこの人たちにいつ会っても恥じることのない仕事の仕方をしていきたいとも思った。

たくさんの情報を深く知るのは難しい。人間は、認知機能の限界を超えたスピードと量を手に入れてしまったのかもしれない。知らないと不安。遅いとあせる。けれどふと気づくと、ゆっくりじっくり取り組みくむことへの欠乏感がじわじわ降り積もってはいないだろうか。尤もある一部の才ある人達は、広く・深く・早くを成り立たせるのが可能でもあるようだが。

帰宅してささっと30分くらいで作るご飯もまあいいのだけれど、時にはゆっくり時間をかけて、食材と対話しながら料理をしたいものだなぁ・・・。自分の生き方が雑に感じられたら、欲張っているサインかもしれない。周囲のスピードにとらわれず、でも周囲と豊かに関わりながら、スピードを上げ過ぎず、かといって流れをよどませることなく、いろいろなことをすこしずつ熟成させていけるように、自分らしくやっていきたいとあらためて思った。

(2010年11月)