スタッフエッセイ 2010年8月

仕事

長川歩美

仕事は役割分担だ、と昔から思っていた。生きていくために必要なもの(衣類・食物・家・日用品など)や、ある方が嬉しいもの(車・電化製品・趣味グッズなど)を作ったり、不要なもの(ごみ・排泄物・汚れなど)を処理したり、学びたいことをすべて一から調べたり・・といったすべてのことを一人でするのは大変、いや無理だから、他の人と分担し自分の役割に責任を持つ、というのが私の仕事観だ。

だから、どんな仕事であっても他の人の役に立たないと意味がない。日常生活はどの瞬間も、他の人の仕事によって様々な恩恵にあずかることで成り立っているのだから。その際、役に立つ範囲、世間の認知度が重要というわけではない。自分を知り、できるだけ自分を活かして仕事をすることが、結局は自分にとっても社会にとっても自然な流れなのだと思う。大きなことでなくていいし、大きなことでも構わない。そういう意味では働く人はみな対等で、人間の生(人間でなくても)にまつわる多種多様な要素のうちの何かを担い、懸命に向き合えばいいのではないかと思う。

ただし、自己満足ではだめなのだと思う。他の人(人でなくても)に寄与するように目的をもつことが必要条件だと思う。だって、役割分担の一環だから。時には次の世代を育てたり家族を支えることや、自分や身内の病に向き合うことが仕事になる時期もあるだろう。芸術はどうだろう?人がなんらか心動かされる域に達しているならそれは立派な仕事になるのだろう。ただし、やはり自己満足ではだめなのだと思う。芸術域の仕事をする人が葛藤するのは、自己表現と社会との接点を見出せない時に、社会に迎合する、あるいは自己中心的に突っ走るという両極でなく、その間を模索しつづけるということを、他の仕事よりもより生身でし続けなければ成り立たない領域であるからでないだろうか。

…と、仕事についてまじめに考えていたら、今度は「遊び」とか「いい加減」なんかをテーマに書きたくなってきた(笑)。「遊び」も「いい加減」も「仕事」とおなじく、私にとっては大事な要素ではある。そのうちに「遊び」「いい加減」をまじめに(笑)考えてみようと思う。

(2010年8月)