スタッフエッセイ 2010年5月

「十の扉」

村本邦子

子どもの頃、「十の扉」という遊びをやった。問いを出す人が名詞をひとつ思い浮かべ、あてる人たちが順番にイエス・ノーで答えられる質問をしていく。十回であてられたら勝ちだ。学生たちが修論のテーマを絞るにあたって、これを使ってトレーニングしてはどうだろうと思って紹介したら(学生たちは、この遊びをまったく知らなかった)、「脳トレ」と呼んで、面白がって遊び始めた。そして、効果てきめんだ。

趣旨としては、ひとつの答えにたどり着くまでに、大きなカテゴリーから合理的に、少しずつ、当たりをつけていって、答えを見出していくというプロセス。概念化の仕方、抽象度の水準を少しずつ下げていくという思考ができるようになっていくと、漠然とした自分の興味関心から、少しずつ、扱い可能な具体的事象に行きつくというわけである。子どもの遊びだから、大学生には単純すぎるかしら?とも思ったけれど、実際、やってみると、大人は大人らしく概念を選ぶので、なかなか十回であてることは難しく、答にたどり着くまでに、二十回くらいの問いが必要なのではないかと考えるようになった。

もともと、これって、どういう遊びだったんだろうと調べてみると(ウィキペディアの情報だが)、これは、「二十の扉」として、1947年から1960年にかけて毎週土曜、NHKラジオで放送されていたクイズ番組なんだそうである。一人の人が答える人となり、聴衆は答えを知らされていて、聴衆の反応を見ることがヒントにもなったようである。時代的に考えると、その残り火が私たちの世代の遊びとして受け継がれていたのかもしれない。「動物」「植物」「鉱物」のいずれかのジャンルに分けて出題されていたそうだ。たしかに、言われてみれば、「それは○○です」という一文からスタートしていたような気もする。ただ、私の感じとしては、ジャンルがわかっていれば、十回で十分なんじゃないかという気がする。

現実に問題が起きたとき、何が問題になっているかを分析し、それに対してどのような解決策があり得るのか、頭を柔らかくして、なるべくたくさんの選択肢をあげ、そのなかのどれが一番、実現可能かを決めて、試行してみる。結果を検証して、次の手を考える。こういった論理的思考を鍛えることも重要だ。あるいは、ディベートの手法を使って、自分の考えを相対化し、相手の考えを理解、または推測し、相手を説得するための論理の組み立てをしていくといった能力も役に立つ。

生きていくうえで必要なスキルや物の見方、考え方を鍛えるために、大学教育が貢献できることはたくさんあると思う。本来、学校の教科教育とはそういうものだろう。ただし、現実には、なかなかそんなふうになってはいないので、せめて大学では、学びをよりよい生き方につなげたらと願う。大学が就職予備校化している現代だけど、ゼミ合宿で「十の扉」を楽しみつつ、なんだかいいなと楽しい気分になったし、まだまだやれることはたくさんあるぞと思った。

(2010年5月)