スタッフエッセイ 2010年5月

感覚と論理

長川歩美

時々、自分の話が全然伝わらずにびっくりすることがある。相手は男性であることが多い。10年前に夫と結婚した当初、この「伝わらなさ」にびっくりし、自分勝手な話だが、自分にとっての「当たり前」が通じないことをもどかしく思った。その後、女友達に夫に伝えたのと同じことを話してみると、なんの苦もなく通じるのにこれまたびっくり!そのうちに、男性にはなかなか伝えられないことでも、同性の友人に話すとすぐに分かり合えることが多いことがわかってきた。

結婚した何人かの友人達にたずねてみると、「そうなんよ〜!」とか「当たり前ヤン!」との反応。どうやら、彼女達も対男性と女同士のコミュニケーションに少なからず違いを感じているらしい。もちろんさまざまに個人差はあるし、相手の男性によっても違うのだが。

友人達の共感を得て、これはどういうことなのかな・・こんなにはっきりと疎通の度合いが違うなんて興味深い―きっと相性とか感性とかいうことなんだろうけど・・と考えているうちに、性差、といっても性別ではなく、男女共に誰もが両方を組み合わせて備えているような、男性性と女性性の配分の違いのようなものを思うようになった。

そもそもなにが通じ合わないかというと、自分としては「こんな体験をした」ということをただ話したいだけなのに、相手はなにがより正しいかを考えたり、助言したり、どういうことだったかを整理・結論づけようとする、というズレが起こるのだ。こういう時、私の方は、感覚・共感・相互理解モードで話しているけれど、相手は論理・分析・問題解決モード(想像ですが)で捉えている感じ。

こういうズレが起こる場合、私は、話のつじつまや論点などはあまり重視せず、体験を視覚的にイメージして、感覚的に思いついたままを話す、というやり方をしているように思う。そうすると論理・分析・問題解決モードで捉えようとしている相手には、なにが言いたいのか伝わらない。

相手は誠実に聞こうとしているが故に、ことを論理的に整理しようとこちらに質問して、現実の状況を確かめようとしたりする。こちらとしては「あー、そうだったの。」「そんなことがあったんだ。」と、体験を共有してほしいいだけなので、もどかしく感じる・・というようなことが起こってるのではないかな〜と思う。

あらためて、この2つのモードについて考えてみると、私自身は講師活動をする時などは、慎重に話の流れや筋道を確認して話をしている。論理・分析・問題解決も大事にしているのだ。そういう時にこのようなズレは起こらない。無意識だがちゃんと切り替えているんだと改めて気づいた。そして、ズレが起こるときは「わかって欲しい」という気持ちが強かったり、体験したことから距離がとれていない時なのかなと思った。場面によって極端に切り替えるのではなく、もっと自由にバランスがとれるといいのかも・・

心理学者のジョン・グレイ氏は、男らしさの特徴として(攻撃的・合理的・目的がある・正確・分析的・論理的・人の役に立つことで力を得る)等、女らしさの特徴として(ひとりよがりになりやすい・受容的・直感的・感受性が強い・感情的・やさしい・人を力づけることで満足できる)等を挙げている。そして、誰もがみな、これら両方の特徴を自分なりに組み合わせてもっていて、その配分はその人のそれまでの環境や素質によって異なり、その割合がどうであれ男らしさと女らしさの両方の面を調和よく、自由に発揮できるようになっていくことで、その人のもつ能力がより発揮されるという。

そういえば同じ女性でも、感覚的な共感モードと論理的な分析モードを絶妙なバランスで兼ね備えている人もいる。こういう人は、いろんな配分の男らしさと女らしさの割合を体験的に知っていて、相手のモードを理解し尊重しながら話ができ、感覚と論理の間を柔軟に行ったり来たりできるようだ。

心理療法の分野でも、学派の違いで話が通じ合わないということがよく起こる。先日参加したあるセミナーで、イメージを大切にするユング派と、言葉を大切にする精神分析の療法家の対談があった。お互いの学派の特徴を話し、相手の学派への印象・疑問などを出し合って理解を深め合うために企画されたものだが、どうも話している次元が違うというか、同じ日本語で話しているのに相互理解が難しい印象を受けた。私見だが、ここでの通じなさも女性性と男性性のバランスの偏りが関係しているのではと思われた。

いろんな感性の人に出会って、疎通に違和感を感じる時でも、なんとかより豊かにコミュニケーションが取れるようにと試みることで、その人の幅が広がっていくものだと思う。その時に、この次元の異なる男性らしさと女性らしさをどちらも自由に発揮できるように―という視点は役にたつのではないかな〜と思った。

人と人との関係においても、個人の中でも、女性的要素と男性的要素のどちらを否定することもなく、極端に分かれてしまわずに、自由な協力関係になることで、対人関係も個人もより豊かになっていくとのこと、気のおけない女友達とのおしゃべりは楽しむことにして、今の私としては、自分の中にあるであろう潜在的な男性要素を自由に発揮できるようなっていきたい。

 

(2010年5月)