スタッフエッセイ 2010年4月

◇◆退職◆◇

おだゆうこ

この春、母が42年間勤めた職場を退くことになった。

退職の決心を電話越しに聞いた時は、耳を疑った。決心に至るまでいろんな経緯があったが、母がすぐに仕事を辞めるというのは考えにくく、「まぁここ数年の内に徐々に引退して生活スタイルがかわっていくのもいいよね〜」なんて気楽に話していた。
私の中で、母が仕事を辞めるという話は、まだまだ現実味がなく、近い将来の話だった。

母は、兄弟と家業を継いで19歳の時から経理の仕事をやってきた。小規模な計量会社ではあるが、100年以上続いている伝統と技術に自信と誇りを持っており、誠意をもって迅速かつ丁寧な仕事をすることをモットーに働いてきた。姉も私も小さい時から母の職場についてゆき、母の仕事の真似をして遊んだり、工場でトラックに乗せてもらったりして、母の働く姿を見ながら育った。

今では考えにくいが、幼稚園のときは、近所のおばちゃんに連れて帰ってもらい、母が帰宅するまで友達の家で過ごし、母の車の音がすると急いで家に帰っていた。当時、母は職場の1tトラックで通勤しており、“ブーンピッピ”というトラックのエンジン音とクラックションが「ただいま」の合図だった。

小学生の時は、違う校区ではあるが学校から母の職場に帰って、隣のおばあちゃんの家に遊びに行ったりしながら母の仕事が終わるのを待っていた。

姉や私が病気をして、学校をお休みする日も母は仕事にゆき、昼ごはん時になると、“ブーンピッピ”とクラックションを鳴らし、大急ぎで帰ってきては、私の様子を見てご飯を食べさせ、また仕事に戻っていた。病気の時は、一人で寝かせるのがかわいそうだと思っていたのか、いつもは買ってくれない、プリンやアイスクリーム、ジョアのイチゴ味なんかを買ってきてくれた。今想うと、母も切ない思いをしながら、働いていたのだろう・・・。

中学の時、我が家に最大の危機が訪れた時も母は、泣きながら働いた。ぐちゃぐちゃに泣きながら、眠れない日も、食事がのどを通らない日も、毎日朝起きて、家事と仕事だけはプロフェッショナルにやり遂げていた。当時を振り返って母は「あれほど仕事をやっていてよかったと思ったことはなかった。仕事をしている時だけは何もかも忘れて仕事に集中するし、本当に仕事に支えられた。働けることに感謝した・・・」と。

母の背中を31年間見てきた私は、母にとっての仕事は、生きることと共にあり、母が母であることに仕事は欠かせないことを知っている。そんな母が仕事を辞めるという・・・決心を聴いていると、私の方が思わず泣けてきた。

雨の日も風の日もというのはもちろんだけど、妊娠中も、乳飲み子をかかえながらも、子どもや家族が病気の時も、どんな時も母は休むことなく働いてきた。それが当たり前だったけれど、今想うと、それっていうのは本当に、本当に、大変なことだ。本当に仕事が好きで、生きがいと使命を感じてきた母だからやれたことだと思う。

母の話を聴いていると、決心するまで揺れる思いもあったようだが、「でも、もうやれることはすべてやったし、持てる力もエネルギーも十分仕事に注いできた。自分なりの使命を全うした」という思いが、ポンとで出てきたそうだ。そうするとスッと心が軽くなり、想念はなくなったと。「使命を全うした」その言葉を聴いたとき、私の動揺も悔しさもスッと楽になった。自分の使命を感じ、そして、それを全うする生き方ができるというのは、なかなか出来ることではないように思う。我が親ながら、本当に素晴らしいことだなぁと誇りに想えた。

その時はじめて、私の中で母の退職を受け入れられたのだと思う。そして「本当に長い間、お疲れ様でした。」と、ありきたりだけれど、感謝の気持ちがこみ上げてきた。

父が亡くなってからも、長い間学生生活をおくれたのも、念願だった臨床心理士になれたのも、結婚し、子育てをしながら新しい生活をスタートできているのも、母がずっと元気に働いてきてくれたお陰だったなぁと・・・。

母はこの春退職します。でも、母から31年間学んだ仕事への情熱、プロフェショナルに働く姿勢、生きることと働くことが共にあること、これからも受け継いでいきたいとおもいます。

お母さん、本当に長い間おつかれさまでした。そして、今までありがとうございました。

次に会う時に「あぁ〜42年間の仕事人生楽しかった〜♪さて、次は趣味(水彩画から最近は染色にはまっている)を楽しみながら、孫にいい影響を与える素敵なおばあちゃんになりましょうかね!」と言う、母の笑顔に出会うのを楽しみにしておこう!

(2010年4月)