スタッフエッセイ 2010年1月

雪国生まれ、雪国育ち

渡邉佳代

この季節に、「雪国生まれの雪国育ちです」と言うと、「じゃぁ、寒いのは平気でしょう」と言われることが多い。とんでもない!研究所の誰よりも、冬の私はモコモコと何枚もセーターを重ね着している。雪国北国だからこそ、そこで生活する人たちの防寒はしっかりしている。ヒーター、ホットカーペット、コタツなどなど重装備。雪が深くなる真冬には、歩いて5分の場所にも暖房をしっかり入れた車での移動。寒さから守られた、暖かく快適な無菌室で生まれ育ったようなもの、と言えば、言いすぎか。

それが、今のうちの暖房と言えば、エアコンと小さなコタツしかないという軽装備で、底冷えで名高い京都の冬を越すというのだから、たまらない。冬に鼻をたらしながら自転車で30分かけて通勤しているなんて、地元の人たちが聞くと、驚き呆れ果てられてしまう。仕方ないので、冬の服装は機能優先とばかりに、モコモコのダウンジャケットに、去年からはムートンのブーツを買って、重ね着が年々パワーアップしてきている。私のおしゃれ欲が、最も弱まる季節である。

「でも、雪が積もるのって、素敵でしょうね」とも言われるが、いえいえ、生活するには大変ですよ、と決まって文句が出てしまう。その文句を毎年繰り返していたが、今年は、はて?そんなに大変だったかな?と思い返してみた。確かに、高校時代に電車通学していた時には、雪で電車が遅れて遅刻したり、学校の上下水道ともに凍りついて不衛生だというので、午前の早い段階で帰らせられたりと、公的には(?)割と困った体験はあったが、私的には(?)そんなハプニングが楽しかった記憶がある。

雪国生活の豆知識として、子どもの頃に散々言われたことは、冬は家の軒下に立たない、道路の端を歩かない、がある。家の軒下は、氷柱や雪が屋根から落ちてきて危ないから。そして、冬は雪かきをした雪が、道路わきの堀や溝川に捨てられて山高くなり、そこを踏みぬいて流されてしまう事故が起きるためである。そんな話をすると、「やっぱり、体育の時間にスキーをしたの?」「2階に玄関があるの?」と尋ねられることがあるが、私の実家はそこまでの豪雪地帯でもない。ひと晩で積もる時は積もるが、長続きせず、大体が溶けてしまったり、凍ってしまったりの繰り返しだった。

それでも、今思えばよく積もった年があった。25年前の大寒波である。うちは両親が共働きだったため、昼は家を空けていたのだが、家族が晩に家に帰ってくると、家がまさに雪で埋まっていた。大急ぎで夕ご飯を食べた後、暗い中で父は屋根の雪下ろしをし、私たち子どもと母は、玄関前の雪かきをした。雪は降りやまず、それが何日続いたのだろう。週末には気づくと、屋根につながりそうなほどの雪の滑り台ができていた。冬の子どものユニフォームである、スキー服のようなアノラックと長靴、毛糸の帽子で、そりに乗って真っ暗になるまで遊んだ。歌通りに犬は喜んで駆け回り、はしゃいでは、私たちの手袋を持って行って雪に埋めてしまうので、春の雪解けの頃には、いくつかの手袋が庭から出てきておかしかった。

雷が空いっぱいに低く唸り始め、びゅうびゅうと風が吹きつけた後、決まって音ひとつない静寂の瞬間が訪れる。おそるおそるカーテンから外を覗いてみると、しんしんと雪が降り始めている。粉砂糖のようにパラパラと舞い上がる雪、ぼたぼたと音を立てるように黒い地面に白い染みを作る大粒の雪。周囲の音を吸い取るかのように雪は積もり、家々の明かりを反射して、ぼんやり白く輝く。明け方のまだ暗い頃、家の前の道路を除雪車がガラガラと音を立てて通るのを聞き、夜明けとともに真っ白になった新しい世界を見る。

思えば、私は雪のある生活が好きだった。いつから、それを楽しめなくなっていたのだろう?温暖化の影響か、今では実家のほうでも、そんなに雪は積もらなくなってしまった。心残りと言えば、ひとつだけ。保育園の時、雲のようにふわふわで甘いバニラアイスクリームを雪で作ったと友達から聞いて、とても羨ましかった。踏みしめると、キュッキュッというくらいの柔らかく軽い新雪に、牛乳と砂糖、バニラエッセンスを混ぜて作ったという。

あまりにも羨ましかったもので、レシピまで今も覚えている。早速帰って、母に作りたい!と言ったが、雪は汚いよと言われ、あえなく却下されてしまった。雪で作ったバニラアイスクリームは、いったいどんな味だったのだろう?ふわふわで甘い雲の味って、どんな味をいうのだろう?今でも思い浮かべては、いつか作って食べてみよう!と、その味を想像して楽しんでいる。

(2010年1月)