スタッフエッセイ 2009年12月

サンタクロースの嘘

村本邦子

「良い子にしていたら、クリスマスの夜、サンタクロースがトナカイのそりに乗ってやってきて、プレゼントを届けてくれる」。なんとも夢のある話だと思う。クリスマスのファンタジーは好きだし、毎年、12月になると、クリスマスを意識した格好を楽しんでいる。それでもだ!私は、親がサンタのプレゼントを準備するのが大嫌いだ。周囲にやっている人たちが多かったので、遠慮して黙っていたけれど、たまたま最近、その話題が出たので、非難ごうごう覚悟のうえで、ちょっと書いてみることにする。

たしか中学の頃、英語の教科書に、「サンタクロースは本当にいるの?」というアメリカかどこかの少女の投稿についての文章が出ていて、「へぇ、外国にはサンタを本当に信じている子どもたちがいるんだ」と驚き、ちょっとあきれた記憶がある。それでも、センチメンタルな外国の話で、別にそれはそれでいいか」とも思った。ところが、私が子育てしている頃、結構、皆がやっていたので、「へぇ、日本にもこの文化が入ってきたんだ」と思って見ていた。やっている人たちを非難するほどの気持はないのだけど、自分は絶対にする気にならなかった。

時代の問題なんだろうと理解していたのだけど、つい最近、私よりずっと上の世代の人たちの回りにもサンタがいたことを知って、びっくりした。たぶん、時代の問題ではなく、地域の問題でもあったのだろう。あるいは社会階層の問題?少なくとも、私が子どもの頃、周囲にサンタの姿は見えなかった。その上の世代の人は、自分のところにも、毎年、サンタは来ていたが、「サンタはお金持ちの家の子どもには豪華なプレゼントをするんだな」と思っていたそうである。思わず吹き出してしまったが、その彼でさえ、私がサンタの嘘が嫌いなんだと言ったら、反対意見だった。

私は、大人が子どもを積極的に騙すということに、ものすごく反発がある。「子どもを馬鹿にしている」と思ってしまうのだ。自分の子どもたちにサンタのプレゼントをしたことはなかったし、子どもたちから「サンタはいるの?」と聞かれたことがあったかどうか、はっきり記憶していないが、聞かれたとしても、「さあ、いるかもしれないし、いないかもしれないね」と答えたはずだ。ふざけて、「サンタさんかな?」なんて言ったことはあるかもしれないけど、本当に信じるように仕向けたことはない。要するに、大人たちがサンタの存在を楽しむのと同じ程度に、子どもたちも楽しめばいいというようなスタンスだった。

サンタのプレゼントを置き、さらに両親からのプレゼントまで置くという用意周到な話を聞くと、内心、馬鹿げていると思ったものだ。きっと、世の中には、そういうことをやっていた(る)両親や、やってもらって感謝している子どもたちがたくさんいて、こんなことを言うと袋叩きにあいそうな気がするけど、「ゴメンナサイ、たぶん、私が変わっているからでしょう」と申し開きするしかない。お互いに楽しんでいるのなら、それはそれで良いことなのでしょう。

大人が子どもに何もかも告げる必要はないし、子どもにはあえて話さないという配慮が必要なことはたくさんある。何でもかんでも子どもに話す人は、むしろ大人げないと思う。それでも、話さないということと、積極的に嘘をつくということは、私にとってはまったく別のことで、積極的な嘘をつくことに大反対なのだ。もちろん、状況によって、そういうことをせざるを得ないことはあるかもしれない。

ずいぶん前、女性のタクシードライバーと話した。夫を亡くし、子どもを養うためにタクシーに乗るようになったが、10歳の子どもにいつも、「お母さんはいつ死ぬかわからない」と言っている。運転手は事故や体を壊して死ぬ確率が実際、とても高いのだそうだ。父親を亡くし、母親もいつ死ぬかわからないと言われている子どもの気持ちを思って、ひどく胸が痛んだ。自分だったら、「お母さんは、あんたが大きくなるまで絶対、死なないから、大丈夫だよ」と言ってやるかもしれないとふと思ったが、それで、万が一、死んでしまったら、子どもは「騙された」と思うに違いない。現実をはっきりと告げるこの女性の潔さに感心した。「ライフ・イズ・ビューティフル」という映画がある。美しくていい映画だと思う。でも、この男の子が父親の嘘を知り、そこからそれを受け入れていくプロセスはどれほど険しい道のりだろうと思う。

子ども時代、サンタさんを信じていて、大人になるとともにそれは親がしてくれていたことなんだと知ること、つまりは親心を知ること、それは本当のところ、悪いことではないのかもしれない。けど、やっぱり私は、激しく自立心の強かった子どもとして、騙されたくなかったし、騙したくもなかったのだ。トナカイのそりに乗ったサンタクロース・・・素敵じゃないか。実際にプレゼントが届くか届かないかはどうでもいいことで、大人の満足のために積極的に子どもを騙さなくてもはいいではないかと思ってしまうのだ。

(2009年12月)