スタッフエッセイ 2009年12月

コラボレーション

桑田道子

少し前。まだ暑い季節に、京都の壬生寺へ、ある俳優さんの朗読活劇を観にいった。若手ながら、真面目な役からちゃらんぽらんな役まで幅広く演じ、魅力的な俳優さんだなぁと注目していたところに、さらに、大好きなフラメンコギターリストとのコラボレーションというもので、迷わずチケットを入手した。

お題は、司馬遼太郎作品の『燃えよ剣』。すべての人物のせりふとナレーションを1人で演じ、要所要所に刀が美しく舞う殺陣が入る。

壬生寺で新撰組を想う、そのシチュエーションからか、シーンと五感が澄んでいくような感覚を抱きながら、聴こえてくる音と見えるものに惹きこまれ、幕末の動乱期を激しく生き抜いた土方歳三の生き様を体感した。当時の志士(勤皇派だけでなく新撰組隊士含め)達を、「幕末の動乱期を激しく生き、儚く散った」と表現しているのを目にすることがあるが、その激しさや儚さを朗読活劇の躍動感や緊張感が表していた。

江戸時代の日本人の人生に、情熱的かつ細やかに叙情的なフラメンコギターと切なく耳に残るカンテが組み合わさっていく。後から知ったことでは、ギターとカンテは演者に合わせてアドリブでの演奏というから、見ている者の情動が如実に表現されていたのかもしれない。調和というよりは、どちらもの主張がうまくのっかりあって、互いにひっぱって、観客のボルテージをさらに盛り上げていく。俳優の立ったり、座ったり、歩き回ったりする体の動きや声の張りにあわせて激しさにのめりこみ、フッと声が止むのと同時に横からスーッと頬に風を感じ、自分が熱くなっていることを知る。

風や熱を感じるのは、お寺の本堂前が舞台となり、境内にパイプ椅子が並べられた屋外が会場だったこともとても影響しているのだろう。開演時刻が夕刻だったため、夕焼けから徐々に暗闇が増していく世界は、まさに物語にも一致していて、照明では表しきれないものだったかもしれない。

個人的な好みは、新撰組より坂本竜馬派なので(いつも会ってみたいと思っている)、土方歳三の人生への理解は不十分だと思うが、彼が戦いながら北上し、函館で最期を選び取るシーンは胸をうつものだった。

表現のプロが、どんなふうにコラボレートされていくのかとても関心があり、楽しみにしていたが、アナログな舞台は想像力をかきたてられ、心の震えを感じる素敵なひとときだった。

活劇とフラメンコギターのコラボレーションを「調和というよりは」と前述したが、どんな結果が生じると成功なのだろうか。化学変化を起こすように異なるものが生成されることなのか。ミックスジュースみたいに混ざり合って、元のそれぞれはわからないけれどなんとなくわかるようなことなのか。互いにないものを満たすことを目指すものなのか。協同、協働という言葉も広く使われるようになり、仕事の場面でも様々な職に携わる方とご一緒する場面も増えている(つい先日も、ハローワークのワンストップサービス化がニュースで話題になっていたので、今後も増えそう)。提携とはどう違うのだろう?

昨年、視察の一環で訪問させて頂いたドイツの民間の相談機関では、法律家と心理家とが同じ部屋で相談業務にあたっておられ、その最も大切な点は「互いを尊敬すること、互いが学んできたこと、考えを尊重すること」と言われていた。問題解決の方針が、相談を受ける者の立場によって違ってくることはあるけれども、その原則のうえで話し合っていくところには、より良い策が生まれることを話しておられた。

互いを尊敬すること、と一言で言ってしまうと「なーんだ、そんなことか」と受けてしまうような、簡単に聞こえることだけれど、実際は難しい。相手を尊敬することは、何も自分が揺るがされることではないのに、相対的な思考になるというか、相手を上げる分、自分が下がるような気持ちになる、とか、負けないために常に相手とは対峙してる心づもりで向かっている、という話を聞くこともある(尊敬と謙譲が混ざってしまうのか?)。相手云々以前に、自身が一生懸命してきたことに誇りをもち、自負するあまり、他からの意見を素直にきけない姿や、自信をもてないところが逆に攻撃性としてあらわれ、他の立場からの言葉に耳を傾けられない姿を私も見てきたし、してきたこともあるかもしれない。

これまで活動してきた家族支援の現場でも、家族に関わる異業種の人達と支援の輪をつくり、包括的な支援活動となっていくことを目指す一方、協働という言葉には補完的な意味が伴うような気がして、どこか据わりの悪いような思いがあった。けれども、その道の表現者として経験を積んできたもの同士の、オリジナルなコラボレーションの瞬間を見ることができ、あらためて、補いあうことも含めて、より良いものをつくりあげていく姿勢を感じることができた。結局、どんなときでも全くの一人仕事な場面はそうそうない(私自身は全くない)わけだし、自分が携わらせていただくところで、関わるひとりひとりの力が十分発揮しあえるような場となるよう心がけたいと思う。

(2009年12月)