スタッフエッセイ 2009年10月

続 Slow boat to Nanjing

渡邉佳代

2007年11月に続き、この10月の初めに1週間、再び南京を訪れた。今回は、アルマンド・ボルカス氏のHWH(Healing the Wounds of History:歴史の傷を癒す)の4日間のワークショップに参加するためだ(HWHについては、当HPの「今月のトピック by 村本邦子」の2009年3月をご覧ください。http://www.flcflc.com/muramoto/09/03.html)。このワークショップには、中国人の学生10名と日本人の学生や社会人10名、そして中国や韓国から日本に留学している/していた人たちとともに行われた。

これまで私は、女性と子どもの支援を通して、暴力の影響やそのトラウマについて携わってきた。そして、私自身の根本に関わる課題として、祖父母や父母から受け継ぎ、あるいは受け継がれなかった戦争と暴力のトラウマについて考えていきたいと思い、一昨年に南京を訪れてから、「こころとからだで歴史を考える」の研究会に参加してきた。

この2年は、私自身、とても大きな変化があった。そのひとつに母の発病があった。南京から帰国して1カ月後に母が発病したことも、何かの縁があるのかもしれないと思うようになった。治療が困難だと言われる病気と母が向き合う中で、母は祖父母との関係、これまでの生い立ちを私によく話してくれた。その中に、祖父が満州で軍曹をしていた話も含まれていた。母は、戦争中に祖父が何をしていたのかを知りたくもないと言っていたのだが、闘病生活を通して、「なぜ、祖父が軍曹になれたのか」「どのように満州から帰ってくることができたのか」「戦争の記憶を祖父がどのような思いで抱え、死んでいったのか」を考えるようになった。

不思議なことに、祖父の戦争体験を引き継いだのが、父だった。「お母さんが病気になったのも、中国の人たちの怨念かもしれないな」と、父が私に言うともなく呟いたことから、祖父が生前に、満州で中国人の首を切ったこと、穴に隠れていたたくさんの中国人たちの話を父にしていたことが分かった。祖父はその話を懺悔するようでもなく、また自慢するようでもなく、淡々と父に話したという。

父からその話を聞き、私の中でパズルのように、何かのピースがパチンと音を立ててはまったような感覚があった。研究会やワークショップに参加し、独自に戦争体験談や歴史書を読み進めていく中で、ピースがひとつずつはまり、私自身の中で少しずつ準備ができていたのかもしれない。前回の南京訪問のときは、中国で起きたことや中国の人たちの思いを受け止めようとすることで精一杯だったが、今回は自分の心を開き、メンバーとともに感じることを大切にしたいと思い、参加に臨んだ。

HWHでは、異なった戦争体験と教育を受けた日本人と中国人が、戦争と南京事件について学び、心を開いて互いの声を聴くことを目的としていた。メンバーは、サイコドラマや人間彫刻、絵画や粘土などの表現アーツの手法を用いながら、ともに遊び、表現し合いながら、南京大屠殺記念館や虐殺が行われた下関を訪れ、幸存者の証言を聴き、感じることを分かち合っていった。

表現アーツを用いて悲しみや怒りを表現していくと、自分のこころやからだがあるべき場所に戻っていくような、解放されていくような感覚があった。知的な理解ではなく、こころやからだが反応するのだ。自分自身とのつながり、そして世界とのつながりが回復していくような感覚だ。そして、前回にもお話を聞かせていただいた幸存者のおじいさんに、メンバーが対話させていただく機会を得られたことも嬉しかった。こころから、おじいさんがあの悲劇の中を生き残り、これまで生きてこられ、私たちにつらい過酷な体験を話してくださったことに、感謝の気持ちでいっぱいだった。南京事件当時に10歳にも満たなかったおじいさんと、今、目の前にいるおじいさんがつながって、私のこころにその深い悲しみと怒りが感じられた。対話の後、おじいさんとふと目が合い、感謝と悲しみの気持ちで頭を下げると、おじいさんは握手をしてくれた。とても温かく柔らかい手だった。

おもしろかったのは、記念館での絵画や下関の慰霊の最中に、そこに来ていた中国人がたくさん集まってきたこと。散歩に来ていたおばあさんが、「良い日本人もいることが分かって、今日、散歩に来て良かった」と言ってくださった。また、プログラムを通して、中国の参加メンバーの表情が次第に和らぎ、たくさんの表現をしてくれるようになったこと。何らかの表現や行動をすることで、リアクションがあり、またそれを受けて、自分の中に何かが生まれていくような感覚で、希望と温かさを感じた。

まだまだ紹介したいことはたくさんあるが、最後にひとつ。今回は、中国に行く前の2週間に仕事の合間を縫って、中国語を必死で勉強した。言語には、それが生まれた文化と歴史を垣間見ることができる。中国では通じたり、通じなかったりしたが、自分の言葉を通して人とつながれることも、とても嬉しかった。プログラム後に、中国の学生さんたちと「再見!」「在日本見!」「見到?很高興!」と言い合い、ハグし合って帰途についた。

ほんの少しずつの歩みであるが、これからどのような過程を経て、どこに辿りつくのか。私の中では、少しずつ自分自身と世界に近づき、つながっていくような希望を感じている。これからも、その先に何があるのかを見続け、関わり続けていきたいと思う。

(2009年10月)