スタッフエッセイ 2009年9月

ひとり旅

村本邦子

この夏、娘がひとり旅に出ると言い出し、岡山から高松のあたりを巡ってきた。夜間のフェリーで行って、夜はネットカフェで過ごすというので、「心配だから、せめて宿をとったら?」と示唆したら、安い宿を見つけたようだ。結局、1万円弱で3泊4日のひとり旅を楽しんできたらしい。当然ながら、知り合いやら、知らない人やらのお世話になりながらの旅だ。はっきり言って、血筋なんだろう。考えてみれば、私にも、夫にも、放浪癖みたいなものがある。急に思い立って、フラ〜と知らないところへ行ってみるというのが好きなのだ。それも、いろんな人の世話になりながら。

私自身、子育てを終え、旅に出る機会が増えた。純粋なひとり旅を楽しむ時間的ゆとりはないが、それでも、仕事であちこち巡り、新しい世界との出会いを楽しんでいる。最近、「自分自身に戻ったな〜」という感覚があって、「これは何なんだろう!?」と考えていたのだが、どうやら、自分が自分に属するという感じ。振り返ってみると、子育て中って、どこか自分の半分は子どもに属しているような感覚があったのだと思う。自分がOKならそれでよいというだけでない責任感のようなもの。私は、こう見えても、基本的に慎重派なので、そんなに無茶をするようなことはないが、それでも、「子どものために自分を守らなければ」みたい意識があったのだろう。

最近の私の旅の仕方は、パソコンを持ち歩いて、どこででも仕事をするというもの。本当は、すっかり仕事から離れられたらいいのだろうが、今はいろいろな責任が重すぎて、どうしても留守中、気になってしまうので、とりあえずネット接続可能な環境に限る。パソコンがあればほとんど必要なデータは取り出せるので、思いつけば、どこででも原稿が書ける。ちょっと変だが、この感覚も「自分が自分に属している」という感じにつながっている。「身ひとつあればいい」みたいな感じ?(パソコンがなければ困るわけだから矛盾してるか・・・。)

旅先の風景を眺め、旅先の食べ物を食べ、できれば旅先の湯につかり、旅先で出会った人たちと触れ合う。違ったところには、違った世界が広がり、違った人たちが、違った人生を送っているということを知ることで、何ていうのか、自分と自分の世界をあらためて確認することができる。

結婚したての頃、兄夫婦から「鳥が選んだ枝、枝が待っていた鳥」と書いた額を頂いたのだが、話しているうちに、どうやら、私たち2人はどちらも自分が鳥のつもりでいるらしいということが発覚して、双方、愕然とした記憶がある。「あらあら、どちらも鳥だったら、私たちはいったいどうしたらいいの?」と。結論は出ないが、今までのところ、とりあえず、まぁ、何とかなっている。老後は、一緒に放浪できたらいいのだけど。特別な計画なく、少し仕事もしながら、車で東北やら四国やらの温泉地を転々とするのが夢だ。

(2009年9月)