スタッフエッセイ 2009年8月

捨てるタイミング

下地久美子

モノを捨てるのが、得意ではない。ポンポンと惜しげもなくモノを捨てられる人を見ると、なんとさばさばしているのだろうと、羨ましくなる。

最近、捨てるか、捨てないか、決断を迫られる事態が二度ほどあった(そんな大層な話でもないが)。ひとつは、テレビ。10年以上使っていたテレビが、音声は出るが、だんだん映像が出るまでの時間がかかるようになった。映るのに3分ほどかかっていたときには、「お母さんが子どものころは、すぐに映像は出なかってん。なんか懐かしいな」とか、「ラジオと思ったらいいねん」と無理やり理屈をこねていた。が、それが、30分ぐらいかかるようになったころには、さすがに「もう寿命かな・・・」と、思うようになった。そんなときに、渡りに船で、知人から32型の最新液晶テレビをしばらく預かってほしいといわれた。おかげで古いテレビを処分することができ、今は、快適すぎるテレビライフを送っているが、期間限定なので、そのうちに買わないといけない。知人が、「もうそのテレビ要らないからあげるわ」と言ってくれる夢みたいなことは起こらないだろうかと、内心では期待しているが・・・。そんな甘くないか。

もうひとつは、自転車。これも、10年以上乗っていて、何回修理しても、常にパンクしている状態になっていた。この自転車は、何度も盗られたり、撤去されたりしながらも、なぜか手元に返ってきていて愛着もあり、その請け出しだけでも、ゆうに新品の自転車が買えるぐらい投資していると思うと、もったいなくて買い換えられなかった。坂道を手で押しながら、パンクした重〜い自転車に乗っていると、ユウウツになってきて、先日、思い切って、新しい自転車を買った。これが軽くって、もうどこまでも漕いでいけるぞ〜という感じで幸せ。

こんな調子なので、壊れてもいないのに、買い換えるという勇気がない。機械モノもそうだが、洋服も、なかなか捨てられない。整理の達人の本を読むと、3年着ない服は二度と着ることがないので、捨てましょうと書いてある。全くその通りで、何シーズンも一度も着ない服がたくさんあるが、もしかして、流行が廻ってくるのではと考えてしまう。そうこうするうちに10年越しで着ていない服がタンスの肥やしになって、洋服ダンスを圧迫している。子どもが大きくなって、着られなくなった服さえも、自分の普段着にしているぐらいだから、溜まるいっぽうだ。モノを処分して、すっきり暮らしましょう!というフレーズは、とっても耳に痛い。でも、きっと不要なものは、エイッと捨てれば気持ちいいんだろうな〜。

こういうのは、人間関係にも当てはまるのかと思って考えてみた。が、不思議と、人間関係に関しては、付き合いたくない人と、腐れ縁的に嫌々付き合っているということはない。気の合わない人とは、はじめから付き合わないせいなのか。たまたま運がいいのか。ありがたいことに、「もうあんたとは絶交や!」と、喧嘩別れした友だちというのはいない。もちろん、人に裏切られたり、利用されたり、嫌な目にあったこともあるが、そういう人とは自然と縁が切れていくようだ。

モノを捨てるか捨てないかは、部屋が片付かないぐらいで、人生においては、それほど大きな問題ではないが、人間関係で、縁を切るか切らないかは、ものすごく重要な課題だと思う。

それが親族であればなおさらだ。悪影響を受けていると思っても、すっぱり切るのは難しい。でも、もしも、無理して合わせていたり、居心地の悪い関係であるなら、距離を置くというのは、自分を守るために必要なのかもしれない。何事にも、捨てるタイミングというのはある。

 

(2009年8月)