スタッフエッセイ 2009年7月

朝ごはん食べた?

津村 薫

『朝ごはんぬき?』(田辺聖子著・新潮文庫)という小説がある。私は田辺さんが大好きだ。彼女の小説は「食」、特に「朝食」場面が印象的であり、魅力的。この小説は、失恋した女性が転職し、人気女性作家のお宅にお手伝いさんとして住み込むところからはじまる。作家の家庭は、彼女とその夫、ひとり人娘という家族構成だが、誰も朝食をきちんととらない。朝からしっかり食べる主義の主人公は、ひとりでゆうゆうと朝食をとるのだが、その描写がおいしそうで、本当に食べたくなるくらい。

あまりにおいしそうな朝食を、出勤前の作家の夫さんが、「うまそうやなあ」と毎朝言うのだが(作家は寝ている、笑)、あわてて用意すると、「いや、いらんいらん」と食べない。食べ歩き会をするくらいに「食いしん坊万歳!」な人ながら、彼は昔から、朝食はゆで卵とコーヒーと決めていて、その姿勢を崩さないのだ。それから彼女は、出勤する彼を見送ってから朝食をとることに決める・・・という場面があるのだ。

私自身、子どもの頃から、朝食はしっかりとるタイプだった。朝食は、ご飯だったり、パンだったり。でもその選択をするのは、いま思えば、家族の中では私だけだった気がする。父親は絶対に、バターとジャムたっぷりの食パンとミルクティーと決まっていた。母も祖母も姉も弟もそうだった。ところが、昔から私は大のご飯好き。昨夜のおかずの残りがあると、「ご飯あるけど、食べる?」と母が聞いてくれる。そうすると嬉々として、お茶椀を出しに行くような子どもだった。

大人になっても、私は決して朝食を抜かない。しっかり食べて出かける。そもそも食事自体を抜かないといった方が正解か。講演から次の講演へと慌しく電車移動をしていて、昼食の時間がとれないという時にまで、一口大の小さな雑穀ご飯のおにぎりをラップに包んで、こっそり口に放り込んだりする。意地でも食べるって感じだな(笑)。

これは娘に受け継がれた。娘は朝食をしっかりとることはもちろん、おいしく楽しく食べることにかけては、人後に落ちない子に育った(笑)。それ以外に何かしてやれたかというと忸怩たるものはあるけれど、食卓はいつも楽しい場にすることは心がけてきたし、良かったといま、心底思う。

いま、夫とふたりの朝の食卓。新婚時代から朝は食欲がなく、殆ど食べない夫は、それでも絶対に、一食抜きをしないため、これもまた昔から、菓子パンを持って出かける。空腹を覚えた時点でかじっているらしい(笑)。そのパターンが夫の体質には合っているらしいので、それもアリかなと思う。彼は新婚時代から体型は変わっていないし(う、羨ましいゾ、笑)、健康診断もいつも問題なしなので、今のところは安心している。夫が熱心に食べるのは、やはり夕食かな。といっても、夫婦で食卓を囲むのは週に二度程度、夕食のみ・・・という程度だけど、それは楽しい場でもある。

私はひとりで、ゆうゆうと朝食をとる。おかずの残りがあればご飯。時間がない時は、生卵をご飯にぶっかけて醤油を少し落としたり、海苔で食べたりというお粗末なこともするけれど(汗)、ねこまんま体質な私には、それも結構おいしい。明太子や漬物、佃煮や昆布と、「ご飯の友」があれば、おかずがなくても大満足だが、これはあまり良いことではないらしいので、何か違う品も食べるように気をつけている。

いま、朝食後に、のんびりと紅茶を飲んでいる(私はコーヒーが苦手で、紅茶党なのだ)。忙しさにかまけて、こういうゆったりした時間をなかなか確保できないのはいけないが、朝ごはんをしっかり食べて、さあ、今日も1日元気に行こう!と、1日の前向きなスタートを切ることは続けてゆこう。楽しく食べることは、楽しく生きることだものね。

(2009年7月)