スタッフエッセイ 2009年7月

大きな犬

渡邉佳代

ある朝、出かける支度をしながら、何気なくテレビをつけると、アニメ名犬ジョリィが放映されていた。思いもかけずとっても懐かしいものに出会った気がして、つい見入ってしまった。名犬ジョリィは、私が保育園に入った頃に放映されていて、主人公のセバスチャンがピレネー犬のジョリィと、謎の小犬(?)プッチィとともに、お母さんを探す旅を続けるというもの。

懐かしくなって、帰宅してから名犬ジョリィについて調べてみた。何度も見たはずなのに、ジョリィは元の飼い主から虐待を受けて逃げ出した野犬だったこと、人々から恐れられて白い魔犬と呼ばれていたこと、セバスチャンは生まれてすぐにお母さんと生き別れたことなど、全く記憶になかった。私が覚えているのは、真っ白で大きなジョリィがとっても賢く、セバスチャンを守ったり、ビスケットを半分こしたり、一緒に仲良く寝ている姿が幼心に何とも羨ましく、熱心に見たものだった。

それから大きな犬がほしくてほしくてたまらなく、絵に描いたり、犬が出てくる絵本を作ったりしているうちに、母の友人の家に生まれた雑種の大五郎を小学1年生の時に飼うことになった。我が家の犬歴の始まりである。果たして夢はかなったが、幼い私は犬のかわいがり方を知らなかった。かわいくてたまらず、大五郎が嫌がるのに、ギュウッと抱きしめたり、散歩が面倒くさくて散歩コースを近道したり、今思えば、可哀そうなことをしたと思う。

大五郎は私が中学3年生の時、散歩先でネズミダンゴを食べて死んでしまった。私は塾の模試で最期を看取れず、帰宅した時に大五郎の死を知った。その次に飼ったのは、高校1年生の時のシベリアンハスキーの桃(もも)だったが、体が弱く、飼って1週間も経たないうちに、予防接種のショックで死んでしまった。以前にもエッセイで書いたが、ペットショップの厚意で次に飼ったのが、同じくシベリアンハスキーの華(はな)だった。華は長生きしたが、5年前に乳腺癌で死んでしまった。そして先月、華の息子犬である宗(むね)が死んだ。ちょうど14歳の誕生日を迎える時期だったので、ハスキーにしては大往生だった。私が実家に用事で帰省する4日前だった。

宗は、生まれた時から華に溺愛され、お世辞にも賢い犬とは言い難いが、愛嬌いっぱいの憎めない犬だった。成犬になってからも水溜りの中で寝ていたり、穴掘りをして両鼻いっぱいに泥が詰まって苦しそうにしていたり、大きな体で内股にお尻を振り振り歩く後姿が愛らしかった。華の後をいつまでたっても付いて回り、雨の日の散歩の後は華に体を舐めてもらったり、愛嬌たっぷりに小さな犬に近づいて鼻に噛みつかれた時は、真っ先に華の元に走っていく。そんな宗のお得意は脱走癖だった。何度も脱走しては、遠くのスーパーで保護されていたり(しかも愛嬌いっぱいなので、ちゃっかりお惣菜までもらっていた)、近所でお菓子をもらっていたり、警察に保護されていたり。

華の時は、独りぼっちで逝かせてしまうのがとてもつらかったが、宗の時は華が待っているだろうから大丈夫だと思え、不思議と悲しくなかった。実家は弟夫婦の世代になり、もう犬は飼わないだろう。

名犬ジョリィと、これまで私が飼ってきた犬たちを思い返した時、私はこの犬たちをちゃんとかわいがってやれただろうか、幸せに生きてくれただろうかと、少し後悔の念に駆られた。物言わぬ動物たちだ。彼らがどう思って最期を迎えたのか。そんなことを思いながら、ある雨の日の帰宅途中、ふと視線を感じた。目の前に大きなハスキー犬が2匹、私をじっと見ていたのだ。

しばらく目が合い、立ち止まっていると、飼い主の方も気づいて軽く会釈をし合った。思わず、「さわってもいいですか?」と尋ねてしまい、しばらくなでさせてもらった。大きな大きなハスキー。目がアーモンド形で、鼻筋がすっと通っている懐かしい顔。彼らと別れた後、ハスキーたちをなでた手のひらがほんわり温かくて、見てみるとたくさんの白い毛がついていた。そっと匂いを嗅いでみると、懐かしい匂いだった。

彼らが幸せだったかどうか、分からない。ひとつの命が終わる時、これまで少し後悔の念を持ってきたが、その匂いを嗅いで思えた。私の人生を豊かにしてくれて、本当にありがとう。うちに来てくれて、長く一緒にいてくれて、本当にありがとう、と。そう言えば、華が死んだ時も、家の近くで別の2匹のハスキー犬に出会い、なでさせてもらったっけ。不思議な縁があるものだ。もしかしたら、天国にいる犬たちの粋な計らいかしら。

これから私が犬を飼うことがあるか分からないが、また良い時間を一緒に過ごせるといいな。大きな犬は、私が住むこの大きな街では無理かもしれないけど。

(2009年7月)