スタッフエッセイ 2009年5月

泳ぐこと

渡邉佳代

今年の年報は、「体の声を聴く」をテーマに、スタッフそれぞれが課題に取り組んでいる。「体の声を聴く」ことは、私にとって未だに課題である。この数年でようやく大切なことだと実感するようにはなり、食べ物や入浴、散歩、生活のリズムを整えること、時間を作って自分の心と体が喜ぶことを行うなど、最近のエッセイでも触れてきた。

この春、タラサ志摩ホテルで、年報会議も含まれた研修旅行があった。おいしいものを仲間たちと楽しく食べ、波の音や体に降り注ぐ柔らかい太陽の光や温かさ、風、潮の匂いを感じ、心も含めて体全体が喜んでいるのを感じた。特に、ホテルに着いてすぐに海水プールで泳いだこと。海水の目にしみるしょっぱささえ嬉しく、もっと泳ぎたい、泳ぐのが楽しい!という純粋な欲求を感じた。

昔から泳ぐことや海が大好きだった。子どもの頃は運動が苦手で、体育の時間はどうしても体が縮こまってしまう私には、水泳が唯一楽しい時間だった。楽しくて仕方なく、どんどん泳いでいるうちに、タイムがものすごく伸びてしまった。それまで、何かよい成績を取るには、苦労したり、努力しなければならないと思い込んでいた私には、楽しんで打ち込むことで、こんなにも自分の体が応えてくれるんだ!と、驚きの体験だった。

水に潜る、泳ぐことは、私にとって全身の皮膚で水圧を感じ、コポコポという自分の呼吸音を耳にし、水を跳ね返す手足の重みや、浮力の心地よい柔らかさを感じながら、自分が形作られていくような、瞑想に近い感覚に似ている。水底から空を仰ぐと、水面が光のカーテンのように揺らめき、その光の濃淡を楽しむ。そこが海であれば、海底に潜む小さな色とりどりの魚たちが営む生活に見入る。海底の魚や珊瑚、岩肌や海草を眺めながら水面に浮いていると、空を飛んでいるような気分にもなる。

話は変わって、私が初めて一人暮らしを始めたばかりの頃、子どもを対象としたスイミングスクールのインストラクターのバイトをしていたことがある。その頃は、ワンルームの自分の部屋に独りでいることが、息苦しくて仕方なかった。初めの部屋は1階で半分地下に潜り込んでいたため、ベランダは三方を高いブロック塀に囲まれていた。その塀に囲まれたベランダから見上げる小さな空が、まるで海底からゴーグルを通して見上げる景色に、よく似ていた。

大学が休みの日に、ボーッとベランダから空を見上げていると、裏で子どもたちがボール遊びをしている声が聞こえ、そのうち、私のベランダにボールが飛び込んできた。「ごめんなさ〜い!!」と、ベランダのブロック塀の上から、かわいい声と顔をのぞかせた小学生たちと、しばらくやり取りをしたあと、ふと、スイミングのバイトを始めよう!と思い立ったのである。

今、思えば、よくもまぁ、そのバイトに結びついたなと思うが、泳ぐこと、水に触れること、子どもと関わることという、自分でも意識していなかった好きなことが、無意識につながったように思う。振り返ると、一人暮らしを始めて自分の足で立とうと、不安で一杯だったとき、自分の力になるものを探し求めていたのだと思う。

バイトでは、主に幼児から小学校低学年までの、水に潜ることができない子どもたちが、私の担当だった。水に潜ることが幼い頃から自然だった私にとって、この子どもたちと一緒に、あの手この手で、水に触れる楽しさに少しずつ馴染んでいくことは、とても面白かった。去年までSCとして行っていた高校に、当時の教え子が水泳部で活躍していることを知り驚いたが、水に触れる楽しさを感じてもらえたことを、本当に嬉しく思う。

今回の研修でも、海水プールで泳ぐほどに体に力がみなぎるように感じ、泳いだあともすがすがしい気持ちで、自分が解き放たれたように感じた。体が喜ぶこととして、これまでマッサージなどを利用してきたが、研修を通して学んだ、「体を緩めることだけでなく、体を適度に動かすことでリラックスする」という、アクティブレストの考え方は新鮮だった。でも、働く前までは、ごく自然にしてきたことで、子どもの頃はもっとバランスよく、五感で楽しむことをしてきたのだと、このエッセイを書きながら気づいた。

子どもの頃に全身でワクワクし、楽しかったことを思い返してみよう。器械体操は苦手だったけど、水泳は楽しかった!という私のように、誰しも体を使った、自分なりの楽しみ方や動かし方、好きなリズムがあるように思う。何か新しいことを始めなくても、そこから心と体が喜ぶヒントが得られるかもしれない。それを少しずつ、今の生活に取り入れられたらと思う。まずはこの夏に、泳ぎに行けたらいいな!

(2009年5月)