スタッフエッセイ 2009年5月

ことばの壁

おだゆうこ

先月、中国人の夫妻が我が家に滞在された。

勿論、私は中国語が話せない。
食事もさることながら、どうやってコミュニケーションをはかろうかといろいろと考えてみたものの、乳飲み子と若葉マーク反抗期の二歳児を抱えているため、毎日はあっという間に過ぎていく。「案ずるより産むが安し!なるようになるだろ〜」と、割り切って当日を迎えた。

子どもたちが夫妻に慣れるまでが大変だったが、気づけばほとんど困ることなく、むしろいい感じにコミュニケーションがとれていた。

「あれ、なんでだろう??」と、改めて考えてみると・・・
子どもを中心においた生活の中で、子どもという共通項があること、また子どもとのコミュニケーションに言葉の理解は必要ないことにふと気付かされた。

伝えたい気持ち、分かりたい気持ちが双方にあれば、言葉は大した問題ではないのだ。

子どもとやり取りするとき、言葉の意味を理解できるかどうかではなく、こちらの気持ちや伝えたいことを表情や全体の雰囲気、声色にのせる形で言葉を使っているし、またトーンやリズムを変えたりしながら、音として楽しんだり、遊んだりしながら、全身全霊でコミュニケーションをとっている。

それと、同じくすれば、外国人とだって誰とだって(言い過ぎかもしれないが・・・)結構うまくコミュニケーションがとれることに気付き、なんだか世界が一つに繋がっていくようなイメージが広がった。

言葉に頼りすぎないことで、多くを求めず、多少のことは目をつぶり、本当に伝えたい気持ちは全身全霊を込めて思いっきり伝える。すると、相手も一生懸命受け取ろうとしてくれるので、そこに共同作業、共有体験が芽生え、なんだか心地のよい関係性ができてゆく・・・。それがたとえ怒っていたり、苦言であってもだ。

このことに気づき、帰ってきた夫に「私たちも、言葉を使わないコミュニケーションの日を作らない?!」と意気揚々にもちかけてみたが、敢え無く却下されてしまった(笑)。

私も含め、多くの大人たちは、コミュニケーションの大半を言葉に頼りすぎて、言葉にしばられ、不自由になっているように思う。
言葉は便利ではあるが、言葉に頼りすぎていること自体がコミュニケーションの壁(障害)になっているような気がしてならない。

たまには、言葉の壁を取っ払って、大人たちも子どもたちのように世界共通の全身全霊よるコミュニケーションをとることができれば、世界はもっと平和に繋がっていけるだろうのになぁ・・・。

(2009年5月)