スタッフエッセイ 2009年3月

お笑い

長川歩美

大阪育ちのせいか、幼い頃からお笑い番組が好きだ。「8時だよ!全員集合」「俺たちひょうきん族」など、1週間が待ち遠しいくらい楽しみにしていたのを覚えている。そういえば、小学校4年の時に、学校の催しの飛び入り参加で、友人の女の子とふたりで漫才をやったことがあったな〜。ネタ合わせもせず、勢いだけでみんなの前に出たものの、「あれ? 人ってどうやって笑わせるんだっけ?」・・なんとかひとしきりしゃべって舞台をおりつつ、(見るとやるとは違うな〜)とか(「好き」と才能は別物なんだな〜)などと、身をもって実感していた。恥ずかしさよりも妙に学んだ感じを覚えている(笑)。

音楽の仕事をしていたときも、なぜかお笑いから興味が離れず、「日本笑い学会」なるもの(まじめな学会)に出入りして、お笑いを学んで? いた。いまから思うに、人を楽しませることができる「面白い人」に憧れをもっていたのだと思う。職場では、髪が黄色くて面白いミュージシャンのお兄チャンに、「笑いを真面目に勉強するって、イタいですよ。」と、イタい助言をもらいつつ。

日本笑い学会では月例会のようなものがあり、吉本経営の今は亡き小さなホールで、芸人や学識者の方が、笑いや芸というものについていろんな角度から話をしてくださっていた。今までに出会ったことのない面白い人たちに出会えたし、内容も興味深かった。そうそう、さすがにメンバーの方々はいつもとっても魅力的な笑顔で、毎日を積極的に面白がって生きてる、みたいな感じが印象的だった。

そんな風に、私にとってお笑いはあこがれの対象だったのだが、時には強いものが弱いものを馬鹿にして笑いを取る傾向(ホントに強い、弱いの定義はさておき)、笑いの閾を越えて、いじめの縮図を公の電波で見せつけられるようでイヤ〜な気持ちになることもあった。「人を落として笑いをとるって、人を楽しませる能力とは程遠い。こんなのが人気あるっておかしい!」など苦々しく思っていた。要は笑いの質について考えていたのだが・・。

最近ではふと、人気のある芸(能)人の傾向が変わってきたなーと思う。面白いのは前提として、+「カリスマ性、強い」というより「個性的、やさしい、努力家」とでも言うような方向にシフトしているような。最近よく言われる「肉食」から「草食」への人気の変化にも通じるだろうか。「強い・カッコいい」外面だけでなく、本質的なところや人格を重視されているような気がする。たとえばIKKOさん、劇団ひとりさんなど、いわゆるつっこまれキャラで、馬鹿にされても同じことを人にやり返さないようなタイプ(に私には見える)の人たちが、才能や人柄を認められ、一目置かれる愛されキャラであったりするのは、(世の中悪くないな〜)という気持ちになる。少し前の「おばかブーム」と言われているものについてはもう少し考える必要がありそうだけれど。

そういえば私の所属する精神分析の学派では心理療法におけるユーモア、笑いの要素をとても重視している。深刻な内容であればあるほど、ユーモアの精神を忘れないことが大事だという。自分にとって魅力的なお笑いの人を見ていると、人に何を言われようが、やり返さず、かっこつけず、等身大のその人らしく、自分の欠点さえさらけだして笑い飛ばしている感じがあるように思う。周りに「こうあるべき!」的な要求がなく、自分も他人も大事にして、人とつながっている感じがする。自分はまだ、自分の権利を守るのに必死なところがあるので、見習いたいな〜と思う。

(2009年3月)