スタッフエッセイ 2009年1月

子どもたちの巣立ちを迎えて

村本邦子

 今年、息子が成人式を迎える。そして、この春、娘が家を出て、いよいよ夫婦2人の生活となる。あっと言う間の子育てだった。こんな親だったが、本当に良い子たちに育ってくれ、日々、感謝である。

 振り返れば、巣立ちを予感させられる出来事は、ずいぶん前からあった。親が思い込んでいる子どもの顔と違う顔を知ったとき。親をうならせるような鋭い批判をされたとき。家よりも、外の世界に関心が向いて、出て行ってしまうようになったとき。親には想像も及ばない才能やすぐれた性質に気づかされたとき・・・。そのたびに、子どもの姿をしげしげと見直し、敬意をもって見上げ、もはや親が不要になりつつあることに寂しさと安堵、そして誇らしさを感じてきた。

 年末、子育ての総まとめのような形で、『プレ思春期をうまく乗り切る!大人びてきたわが子に戸惑ったとき読む本』をPHPから出版した。ちょうど、お盆休みの頃に、急ピッチで書き上げたものだが、そこに書いた子どもたちの状況にも、大きな変化が生じた。娘の突然の進路変更と、息子が長くつきあってきた彼女との別れである。さまざまな経験をし、いろんなことを味わって、さらにグッと大人になる仕上げをしたような格好である。

 そして、年末、息子はCDデビューを果たし、娘はイベントへの初出場を果たした。2人ともラッパーである。私には馴染みのない世界だが、好きなことに一生懸命、打ち込んでいる子どもたちを応援したくて、早速、息子のCDを買い(どころか、周囲に売って回っている)、娘のイベントに行ってきた(こちらも若い人を誘って)。

 息子のCDを最初に聴いたときは、ちょっとショッキングだった。娘と違って、息子の方は、これまで一度も自分の曲を聴かせてくれなかった。その理由がよくわかった。要するに、すっかり大人の男の世界なのである。そんな顔を母親に見せることを遠慮してきたのだろうか。これまでの私には、どんなに体が大きくなっても、かわいいかわいい小さな子どもだった頃の息子の姿が重なって見えていた。ちょうど、マトリューシカ人形のように、幼かった頃の息子から、小学時代の息子、中学時代の息子・・・と入れ子のように重なっているように思えていたのだ。今回、かわいかった小さな男の子が、「ママ、バイバイ!」と笑いながら手を振って、透明になって天に消えて行ってしまったような気がした。軽い喪失体験だった。

 娘のイベントの方は、「クラブ」というところが生まれて初めてだったので、とにかく若いパワーに圧倒されっぱなしの体験だった。こんな中で、独りで歌おうというチャレンジ精神にまずは脱帽である。初々しく恰好よく、ソロを2曲歌い、最後の曲は、音楽仲間と兄が友情出演した。息子だけ大人で、さすがに迫力あったが、仲間である高校生の男の子たちも何とも素敵な子たちだった。良い仲間に恵まれ、幸せなことだと思う。素晴らしい人間関係を拡げていく力も、この子たちの力だろう。若者たちが愛おしくてたまらなくなった。みんな幸せになって欲しい。

 「いつでも潔く死ねる」と思っていた若い頃から、子どもが出来て、何があっても死ねないと思った。変な話だが、一人で飛行機に乗る時など、万が一、飛行機が落ちて死んだとしても、幽霊になってでも生き続けるぞと思ったものだ。最近、まったくそんなことを考えなくなった。親がいなくなっても、この子たちは、もう立派に生きていけるだろう。願わくば、長生きをして、大人になった子どもたちと共に過ごす機会をいつまでも楽しみたいものだけど。

(2009年1月)