スタッフエッセイ 2009年1月

大丈夫

津村 薫

 これを書こうとしたときに思い出したのは、娘が大病をしたことを書いたエッセイだ。サイトを見てみたら、それは2004年8月に書いていた。あれから4年半近い歳月が流れ、当時高校生だった娘は、昨年夏に成人した。そして、大学3回生になるのを機に、2月末に家を出ることになった。

 自宅から通学可能な大学に進学はしたものの、決して近い距離ではない。3回生からは帰宅が毎日深夜に及びそうなレベルになるのだという。「実験、実験で帰れないよー」と先輩たちに盛んにおどかされたそうだが、本人も、じっくり勉強したいと言い出し、少し難色を示していた夫も、「もう20歳やからなあ」と折れ、大学近くのマンションに引っ越すことになった。

 バイト先でその話をしたら、身辺の世話は全面的に親がかりだという仲間から、「全部、自分でせなあかんって、大変すぎひん?」と妙に同情されたらしい。「そやね〜」とにっこり笑って会話は終えたらしいが、娘は内心、「私なんか、時間があったら家族中の洗濯したり掃除したり、ご飯作ることもあるんやから、ひとり分の方が、どう考えても楽やろー」と思ったそうだ。それを聞かされて、一緒にげらげら笑ったけれど、「確かになあ」という思いもした。忙しく生きてきたことへの、一抹の罪悪感もある。

 思春期のややこしさが目に見えて落ち着いてきたのは、大学に合格してからだった。そもそも、自分で自分のことはできるようになっていたが、そのあたりから娘は、主体的に家事に関わり始め、頼まなくても家族の一員として、いや、18歳の娘にしては十分なくらいに協力し続けてくれたと思う。それがもし、巣立ちの後押しの小さな一助?になったのだとしたら、居心地が適当に良くない家というのも、少しは効果的なのか(笑)?

 娘が小さな頃、よくくっついて、歌を歌ったことを思い出す。私の両足の上にちょこんと小さな両足を乗っけて、ぺたんと背中を私のお腹にくっつける娘。娘の両手を私がとり、部屋中を歩き回りながら、いろんな歌を歌いながら踊るというのが、なぜだかよくやった遊びだった。今でも、当時よく歌った歌を娘は口ずさむことがある。それは私が母から聴かされた懐メロだったり、「みんなのうた」で覚えた歌だったり、当時のヒット曲だったり、童謡だったりした。私にとっても、温かい懐かしい思い出だ。

 よく、「ママ、すきぽん〜」と寄ってきたっけ。娘がお腹の中にいる頃、あまりによく動いて私のお腹をぽんぽん蹴るものだから、いつしか夫婦で「ぽんすけ」と呼んでいた。その名残で我が家では、ぎゅっと抱き合うことを、「すきすきぽんすけ」から略して「すきぽん」と呼ぶようになっていたのだ(笑)。「す」が言えなくて、「しゅきぽんー」と言っていた時代もあったなあ。保育園の頃などは、毎日「すきぽんタイム」があった。面白いことに、それは私の実家にも移り、従姉妹と会ったり、祖父母や叔父叔母に会っても、別れ際にも「すきぽ〜ん」と言いながら抱き合うのが習慣になった(笑)。
 
 小学校に入ってもそれは続き、高学年になった頃だろうか。「すきぽん」リクエストがなくなってきた。「すきぽん」しなくなってから、どれくらいの年月が経つだろう。あの頃のあどけない可愛らしさをまだ私は今の娘にも見ていて、可愛くて可愛くてたまらない、そんな気持ちはずっとあるのだけれど、巣立ちの時期はきた。
 
 振り返ると、親としての至らなさに対する罪悪感、でも、それでもいつも愛してきたぞという自負はある。そして何より、娘にこそ育ててもらったことに対する感謝の思いでいっぱいだ。私自身、「子どもを持てなければ一人前ではない」という価値観は大嫌いだった。でも、この不出来な私が娘を授からなければ、これほど学ばせてもらうことはあっただろうか?という思いは確かに強くある。

 二度の大病をして、その度に夫婦で生きた心地がしない思いをした。きっと、娘が何歳になっても、私は心配しているだろうと思う。でも、それは私たち親が引き受けるべき仕事だと腹をくくることが良いという確信はあるので、とにかく健康で、楽しい人生をと祈りながら、送り出してやろうと思う。あんたなら、きっと大丈夫。楽しく、素敵にやっていくはずだよ。あんたみたいな良い子に、良いことが起きない訳はない。私たち夫婦が送り続けた「すきぽんパワー」がずっと有効であるようにと祈ろう。

(2009年1月)