スタッフエッセイ 2008年11月

母子寮(母子生活支援施設)再考!

おだゆうこ

 母子生活支援施設ってご存知ですか?
 
 唐突ですが、私は駆け出しのカウンセラーのころから、ご縁あって、ある母子生活支援施設の心理士として働いてきた。長女の出産のときに、色々な制約もあり一旦退職したが、次女を妊娠したころに今度は職員のカウンセラー(スーパーバイザー以下SV)として来てほしいというお電話をいただいた。長女が1歳になったばかりで身重な時期でもあったが、さほど迷わず、私でよければ・・・とお引き受けした。
 母子寮(1998年の児童福祉法改正により、自立と生活支援を目的とする「母子生活支援」へと改正されたものの私はなぜか未だに母子寮と言ってる)での経験は本当に大きく、私をいろんな意味で成長させてくれたし、自分自身も含め日々の関わりの中でバーンアウトしている職員との関係も深かったので、何かお役にたてることがあればという気持ちがあった。また、母子寮自体が、社会の変容に伴う入居者の変化に対応しきれず、混沌と渦まいている状況であり、職員も入居者も、その渦の中でしんどさに飲み込まれそうになっている現状を何とかできないかなと常々考えていたからだ。
 無論、私がSVではいって一人でなんとかできるなんぞは微塵もおもっていない。やってみようと思えたのは、職員達がこのままではいけないと考え、通常の心理士の枠とは別にSVの枠を作り、予算を申請して・・・と本当に真剣にこれからの母子寮のこと、入居者への支援のこと、職員間のことを考えている熱意があったからこそだった。

 そうしたご縁あって、今年の4月からSVとして再び母子寮に通っているのだが、先日職員研修の中で、「母子生活支援」とは何ぞや?と改めて考えるにあたって、ある職員が「母子寮から母子生活支援施設に改正されたことを考えると、そこにはもっと専門的な援助が必要なんだと思う」と話してくれたことから、ふと私が日ごろ、母子生活支援施設ではなく、母子寮、母子寮・・と言っていることに考えが及んだ。
 特に意味をもって使い分けていたつもりはなかったのだが、よく考えてみると私は無意識的に使い分けていたのかもしれない。

 母子寮とは、戦後の混乱する社会の中で着の身着のままで荒廃の中をさまよう母子の保護を目的として作られた。つまり、戦争により父親と死別した母子の保護を目的していた。その後、社会は急速に変化し、死別ではなく生別による母子の課題やニーズが多様化する中で、10年前にその目的を保護と同時に生活・自立支援を加え、母子生活自立支援施設と改正された。改正により、地域に住まう母子の子育て支援やDV支援など、地域に開けた母子家庭の総合的な自立を支援する施設としての機能も期待されている。
 しかし、現状としては、職員は日々多様な業務に追われていて、様々な課題をもつ入居者とじっくりと向き合う余裕もなく、自分たちの十分な休養すら確保されず、現場は依然として混乱している。

 そうした現場をみていると、戦争を知らない私が言うのもおかしいかもしれないが、戦後の母子寮という言葉の方がぴったりくるような気がしている。母子生活支援施設という、ピシッとすっきり整理されたかのような名前には、現場とのひらきがあり、色んなものを取りこぼして無理やり整理したような感があり、なじめないのかもしれない。
 混乱している現場を整理していくことはとても大切であり、必要なことであるし、近年ではDVや虐待など様々なトラウマを幾重にも重ねてきた人たちや、発達障害を抱えている人たちなども増えているため、専門的な知識やスキルが必要なのも確かなことだ。しかし、母子支援に必要なこととは、本当にそうしたものなのだろうか?
 また、一方で「寮」とつくなごりからなのか?施設での生活には門限やルールなど、厳格な規制や、生活指導という「指導」が残っているところが少なくない。そうしたものが本当に自立支援につながるのだろうか?
 
 そこで、母子生活支援施設、再考なのだ。

 母子寮と関わって5年目。ちょうどよい機会なのだと思う。職員と入居者とともに母子生活支援施設ってなんだろう?母子支援に大事なことってなんだろう?とちょっと立ち止まって考えてみたいと思う。

 最後に、先の研修である職員が、私の質問に「ずっと考えてたんだけど、母子で、どちらも欠けることなくここまで(施設)来れたことがまずすごい!それだけですごいことと思う。だから、とにかくまずは肯定から始まる気がする」と話してくれた。これまた、すごい言葉だなと。ほんとにその通りだなぁと思った。
 私自身、母子寮での仕事は正直、他の職場よりもしんどく感じることがある。それでも、またやりたいと思えるのは、色んなケースがあるが、施設まで母子共にやってこられてた、「母子の力」というレジリエンス(生きる力)があり、そこに、安全と安心と人とのつながりが少しでも感じられるようになったとき、人はまたあたたかな笑顔で生きていけるんだという、勇気と希望と感動を私自身がもらっているからだろう。

(2008年11月)