スタッフエッセイ 2008年11月

戦争と、子どもたちが抱えたもの

窪田容子

 子どもが、この秋、修学旅行で広島の平和記念公園、原爆ドームを訪ねる。修学旅行に向けて、戦争の記憶を心にとどめ、未来の生き方に役立てるという教育が学校で行われた。この教育の一環として、戦争〜終戦の時を生きてきた方にお願いをして、その体験を書いてもらうという課題が出た。

 夫の母は、書いてくれる前に当時のことを直接子どもに語ってくれた。私も一緒に聞かせてもらったが、それは私にとっても初めて聞く話だった。義母は終戦の年、小学校5年生だった。ある日、義母の母は、用があって、一番下の妹を背負って朝早く町に出かけた。きょうだいの中で一番年上だった義母は、小学生の妹と、幼い弟を連れて小学校に登校した。弟は、義母の教室で隣に座ったり、先生に相手をしてもらっていた。放課後帰ろうとすると、弟がぐずぐずしていて、靴もなかなか履こうとしなかった。そんな弟を叱って急かせて、手を引いて家に連れて帰った。夕方遅くに義母の母が帰ってきて、弟が高熱を出していることに気づき、病院に連れて行ったが、それっきり弟は帰らぬ人となった。戦争中で栄養状態も良くなかったし、ワクチンも手に入らず助けることができなかった。それから、1ヶ月して義母の父が戦地から帰国し、大切な一人息子を失ったことを悲しんだそうだ。義母の母は、息子を亡くしたことを夫に対しても申し訳なく思い、つらい思いを抱えることとなった。

 義母が一冊の絵本を紹介してくれた。『おとなになれなかった弟たちに・・・』(米倉斉加年著・偕成社)という本である。ひもじかった時代に、小学生だったぼくは、弟のミルクを盗み飲みしてしまう。それが、どれほど悪いことかわかっていた。弟は、それしか食べるものがないことも分かっていた。かわいくて仕方なかった弟のミルクを飲んだぼく。その弟が栄養失調で死んでしまう。その哀しみと、罪悪感が胸に迫る絵本だった。
 義母は、この絵本に出会ったとき、自分の気持ちがここに描かれていると思ったそうだ。

 義母の、息子よりもまだ小さかった少女の、抱えてしまった深い哀しみ、後悔、罪悪感。その大きさを思うと胸が詰まる。母に頼まれ、幼い弟を小学校に連れて行ったしっかり者で心優しい少女に何の罪があるだろう。小学生の子どもが、弟の病気に気づけないのは当然だ。にもかかわらず、弟の死によって抱えさせられたものは、少女をどれほど苦しめ続けたのだろうか。

 戦争の体験記が文集に編纂されて配られた。167人もの戦争の体験が綴られた文集を読みながら涙があふれた。

 孫に戦争のことを思い出し書いて欲しいと言われ困ったけれど、何とか記憶の箱をこじあけて書いてくれたという人、戦時中のことは思い出したくも語りたくもないという人もいる。今でも思い出すと身震いがしてくると語る人、不気味な爆音、真っ暗な防空壕の中で息を潜めていた恐怖感は今でも忘れられないという人、空爆にあったときの恐ろしさは63年経った今でも夢に見るという人がいる。死んだ人のいやなにおいが辺り一面漂っていたのを思い出すという人、空襲で母と妹を亡くし、悲しい涙はその時に出つくしてしまって、それ以降どんな悲しみに出会っても涙は出ないと書いた人もいる。

 そこに綴られていたのは、私の子どもたちと同じような年齢の、ほんの幼い子どもたちが体験した戦争だった。
 ひもじい思いをしていた子どもたち。子どもたちにとっては、食べ物が足りないことはとてもつらいことだったろう。たくさんの人がおなかが空いて辛かった書いている。
親を失い、家財道具も失い、辛い生活をした子ども。
夜空が真っ赤に染まり生きた心地がしなかったという子ども。
雨あられのごとく焼夷弾や爆弾が目の前を降る中、逃げまどった子ども。
目の前で機銃で撃たれて死んでいく人を何人も見た子ども。
真っ黒に焼けた死体を並んでいるの地獄のような恐ろしい悲惨な光景を見た子ども。
焼け焦げた死体が転がっていて、死んだ人や息絶える人を見ても何の感情も湧かなかったという子ども。
兄が戦死して悲しかったけども、「泣くな」と言われた子ども。
原爆投下後の広島を見て、呆然と立ち続けた少年。
厳しい体罰やしごきがつらかったという、予科練生や少年兵たち。
毎朝家をでるときは、両親にさようならと言いながら家を出たという学徒動員となった女学生。
成長する年代に、遊ぶことも勉強することも許されず、笑みを忘れ、暗い時代を過ごしてきた子どもたち。

 日本で、アジアで、戦争を体験した150人あまりの子どもたちの思いがびっしりと綴られ、今の子どもたちに、たくさんの思いを伝えてくれている。多くの人が、戦争を語り継ぎ、戦争をない平和な世の中となるよう、がんばって欲しいと締めくくっている。

 この文集に触れることが出来たことは、子どもたちばかりでなく私たち親にとっても、戦争について学べる貴重な機会となった。このような機会がなければ、普段は意識することはなかったが、この世代の多くの人たちは、子どもの頃にみんなそれぞれに戦争をくぐり抜け、今の子どもたちに伝えたい思いを持っているとことに感銘を受けた。私も、この機会がなければ、義母から戦争の話を聞くことはなかっただろう。
 年月が経てば、戦争を体験した人の生の声が聴ける機会はどんどんと減っていき、やがてはなくなっていく。戦争を体験した子どもたちの声を聴ける貴重な機会が得られた私たちや子どもたちは、この記憶と思いを受け継いでいく責任がある。そして、日本が始めた戦争により、他国の人たちに何をし、他国の子どもたちにどれほどの大きな闇を抱えさせたのかについても忘れず学び、受け継いでいかなければならい。

(2008年11月)