スタッフエッセイ 2008年9月

五十にして・・・

森葺a代

 今年の誕生日、娘から「お誕生日おめでとう!」と一緒に、「お母さん、 五十にして天命を知る やで」とメールが来た。そう、孔子は言った。

子曰わく、吾れ十有五にして学に志す。
三十にして立つ。
四十にして惑わず。
五十にして天命を知る。
六十にして耳順(した)がう。
七十にして心の欲する所に従って矩(のり)を踰(こ)えず。

子曰わく、吾れ十有五にして学に志す。

 私は、十五歳の頃、何をしていただろうか?当時は中学生、クラスには気の合う友だちがいて、軟式テニス部に所属し、好きな男の子もいて、学校生活は楽しかった。しかしなんと、私たちは「この学校始まって以来の悪い学年」と言われていた。そして、その中でも番長と言われていた男の子が、私の親友に好意を持ち、私は「恋愛相談」という形で彼と手紙のやりとりをしていた。最初、子分のような同級生が手紙を持ってきて、なんだか怖かったが、丁寧な字に驚き、彼は次第に両親や家族のことなども話すようになった。
 悪ぶって、肩で風切って校内をのし歩き、授業をボイコットするようなこの子にも、こんな内面があるんだと、かっこつけるしんどさ、人は見かけだけでは判らないもんだ、と思ったことを思い出す。十五にして心理学を志して、はいなかったけれど。

三十にして立つ。

 私は、三十歳で長女を産み母親となった。その2年前、臨月までお腹の中にいたにもかかわらず、しっかりと成長していなかった長男を生後2日で亡くしていた。夫、家族、友だちなどいろいろな人の支えによって、「原因が分からない」と言われた長男の死を乗り越え、不安と恐怖に打ち勝っての妊娠出産だった。長女の誕生は本当にうれしかった!病院でも「他のお母さんたちも生まれたあかちゃんはかわいいけれど、あなたは特別な感じがする」と言われた。そりゃそうだ。
 しかし、そんな思いで産み育てた長女を、疎ましく思った時期もあった。生後4ヶ月の息子を連れ海外赴任から戻り、狭い社宅、大掛かりな引越し作業。夫もまた多忙を極め、手のかかる3歳児、おまけに息子の離乳食など様々なストレスが重なってのこと。「私は、おかしくなってしまった」「子どもがかわいく思えないなんて、誰にも言えない」と思い悩んだ時期でもあった。これだけのストレスがあれば、子どもをかわいく思える余裕なんかない。と、今となれば、わかる。母として立った三十歳。

四十にして惑わず。

 私がCAP(子どもへの暴力防止)スペシャリストになったのは、39歳の誕生日、今思えば数えで40歳。それまでは、幼稚園や小学校でPTA役員として活動し、地域の図書館でお話会のボランティアとして活動。いろんなことをしながら、今までの学びや経験を活かして、これからの「自分の道」を模索していた時期でもある。三十代の頃は、私はいったい何をやっているのか?と、とりとめのない自分の学びや活動に悩みもした。しかし、今までやってきたことや人が繋がりだし、女性ライフサイクル研究所と出会い、これからの自分に迷いがなくなってきた時期でもある。まさしく、四十にして惑わず。

五十にして天命を知る。

 私は今年五十歳になった。大辞林によると「天命」とは、1.生まれたときから定まっている運命。宿命。2.天から授けられた寿命。天寿。3.天の命令。天から与えられた使命。とある。
 ここまで生きてきて、運命か宿命か、と思えるような辛いこと悲しいこともあった。うれしいこと幸せなこともあった。さまざまな出会いがあった。その全てと巡りあい、繋がりあって、今の自分がある。そして、今、私は幸せだ。
 近頃、白髪が増え、目の衰え、体力・記憶力の低下、持ち前だった機敏さも今は危うく、様々な変化を感じる。しかし私は、今までも周りの人とのつながりの中で、自分を生きてきた。これからも、自分の変化をやさしく受け止めながら、自分を活かし、少しでも人の役に立てるよう、今の仕事・活動を続けていきたいと思っている。

そして、六十、七十と老いていっても、いつも「今の自分は好き」と言える生き方をしたいと思う。高く澄んだ秋の空、五十にして天命を知る。かな。

(2008年9月)