スタッフエッセイ 2008年7月

変化すること

津村 薫

ある、西洋の格言が好きだ。
「変えられるものは変える勇気を。
変えられぬものは受け入れる謙虚さを。
そして、それを見分ける知恵を授けたまえ」。

 進化論で有名なダーウィンは、「強いものが生き残るのではなく、最も賢いものが生き延びるわけでもない。唯一、生き残るのは変化できるものだけである」と言ったそうだ。この言葉も好きだ。

 ある女性専用外来に勤務する婦人科医に仕事でインタビューしたことがある。婦人病、更年期障害、女性にまつわるさまざまな症状をトータルに診ていこうとする科だ。女性特有のそれらの症状には、本人のそれまでの人生、生き方が大きく影響していることを知った。「変化に柔軟な人がやはり強い」という言葉が、強く印象に残った。

 「生きるとは、変化すること」、村本もそう口にしてきた。その言葉も、いつも私の胸にあったと思う。

 なぜ、そこがいつも気になってきたんだろう。それは、私がいつも変化しようとし続けてきたからだと思う。思えば、私はなかなか変化しない人間で(ということは、成長が遅い!)、それは自己評価を低めてきたと思う。それでも諦めずに、あちこちで頭を打ちながら、がむしゃらに、闇雲にやってきたんじゃないかな。決して冷静沈着にとか、論理的にとか、全体的な思考で・・・とかいう、成熟した大人なスタンスではないところが、また私らしいんだと思う(苦笑)。

 もっと最初から、ひらめくように変化に柔軟に対応できたら、すごく素敵でカッコ良いんだろうけれど、年を重ねて思ったことは、「キャラにないことを目指しても無理」、「可能な方法で、現実的に確実に突破していくことの方が大事」ということだった。私ができる方法で、着実にやれば、それでいいのだ。誰かを羨んだり、嫉んでも仕方ない。それが正直な、それ以上でも以下でもない、ありのままの私だ。

 最近、思うこと。私は、なんだかんだいって、わりと変化してきたんだろう。カッコ良くは全然できないし、そもそも性格的にはネクラなので(笑)、センスが悪く、切り換えが悪い。それでも粘り強く、「どうしたらより良く生きられるのか」というテーマに、常にガッツで向かっていったように思うのだ。竹を割ったような性格の持ち主のように、スパッとは切り換えられないんだけれど、「切り換えるにはどうしたら?」という方向へ、グズグズ言いながらも向かうという、ものすごーくカッコ悪い方法で(笑)。

 何年も前に私の講義を聞いたという人と再会した時に、「本当にお上手になられましたね」「見違えましたね、素晴らしいと思いました」と言われたことが二度ある。これは本当に嬉しかった思い出だ。だって私は汗かき恥かきベソかき、ずっと真剣にそこに取り組んで生きてきたんだもの。ガッツで勉強し続けてきたし、ひたすら講義を極める技を磨いてきたつもりだ。

 そこで確実に変化を起こしていたことを、はっきりと人から教えてもらえた体験は、個人的には大きな感動ですらあった。私って頑張ったんだな。本当はもっと自分でも褒めてやらないといけないんだけど、そこはハングリー精神でやったきた身。常に、「これでもか、これでもか」というスタンスが普通に定着してしまっていて、どうしても優しく褒めてやりにくいが、他者の評価にすがって生きるようなことはしたくない。これも意識して、時折自分に伝えてやることにしている。

 私は、今も変化し続けている。いま、大事なことは何か。何にエネルギーを注ぐのか。きちんと選んで責任をとることを、いつも視野に入れて。学ぶ、発見する、感じる、意味づける、そして反映させる、それらを大切に考えようとしている。生きていく上で、人との関係の中で、魅力的な表現、思考はどこにあるか?と常に考え、直感では無理だけど、意志の力でそこへ向かおうとしていると思う。

 人生は恐らく、半分以上が過ぎたと思う。これからは、心身も、公私共に変化があれこれ訪れることになるだろう。そんな時ほど、受け入れて、みっともなくあがいたり、喪失を悼んだりしようと思う。時間をかけてでも、いつも私はそこに対応してきたんだから、また、そんなふうにやるだろう。

 「変えられないのは他人と過去。変えられるのは自分と未来」という言葉もある。可能性のある、自分自身と未来を楽しみに、起こり得るであろう新たな変化に、カッコ悪く取り組み続けよう。今後の課題は、カッコ悪い最中のドタバタを、ひそやかにやること(笑)。

(2008年7月)