スタッフエッセイ 2008年6月

眠りにつくまで

おだゆうこ

 「眠りにつく」というと、穏やかで、安らかに、すやすやと眠っていくというイメージが私にはあったが、眠りにつくというのは、とても大変なことなのだなぁと、最近改めて感じている。

 日々の活動をしている日常の世界から、眠りの世界へ移行するのは、こちらから→あちらへと水平移動するようなものではなく、何やら大きなエネルギーがかかるらしい。
 TVなんかでも、次元の違う異界へワープするときには、電流や稲妻の間を通り抜け大きな振動がかかる映像を目にすることがあるでしょ?例えば「天空の城ラピュタ」で天空の異世界「ラピュタ」に入る前には、「龍の巣」という雲の中の乱流を経るように・・・。
 わが子が眠りにつくまで寄り添っていると、そんなことを連想する。
 安らかな眠りにたどり着くまでの道のりはなかなか険しいのだ!

 お風呂から上がり、ひと遊びして、おやすみの時間がやってきた。体はだんだん眠くなり、ネムネムポーズ(頭を毛布に押し付け、お尻を突き出すポーズ)も出てくるのだが、ここはまだまだ入り口の入り口。布団の海を泳いで、山越え谷越え(私の体を幾度も乗り越え、布団をくぐり)、身もだえしながらゴロゴロとのたうち回る。
 そのうち、おそらく、こちらの世界とあちらの世界の狭間にやってくるのだろう。うまく眠りの世界に入れずに、うとうとエンエン、うとうとキーキーと、狭間に挟まれてしんどそう・・・。

 この時が私たちにとって一番つらい時。わが子がうまく眠りにつけるように手助けをしてあげたいのだが、私の手助けはなかなか届かない。私はこちらの世界にいて、わが子はあちらの世界との狭間にいる。何しろもう同じ世界にはいないのだから。
 トントンしたり、好きなお歌をうたったり・・・あれこれしてはみるものの、ここからは一人で眠りの世界にはいっていくしかない。しかし、どうやら全く一人ではないようだ。声や音、振動は次元を超えた狭間にも届いているらしく、私の声(または夫のいびき)やトントンを心の支えにしながら、安からな眠りについていくようだ。

 この狭間の時間に人間の孤独(寂しさ)と強さを知る・・・そして、やはり他者からもらう安心感の大事さ感じるのだ。考えてみると、わが子がこの世に生まれてくるときもそうだった。違う世界(狭間)にいるそれぞれの二人が力を合わせることで、厳しい産道を潜り抜け、次元を超えたワープ、「誕生」が成就する。
 赤ちゃんが生まれるまでにもがき、生れおちると共に大声で泣くことと、眠りにつくまでのた打ち回り、そして目覚めたときに(一人だと)泣くこと、どちらも、エネルギーの要する異世界への旅に一人で挑むのだけれど、全く一人ではないという安心感があってこそ、こちらの世界とあちらの世界を無事に行き来し、そして、安らかに眠りにつけるのだろう。

 幼いうちは安心感の持続性が短く、眠りにつくまで安心していたし、目覚めたとき暗闇に一人ぼっちだと世界が崩れるほどの不安に襲われる。感受性の強い子ほどそうなんだろう。沢山の安心をもらって、安心感が蓄積され持続されるようになると、人はひとりでも眠れるようになっていくのだろうけれど、やっぱり大人になっても本当は一人で寝て、一人で目覚めることは寂しく、不安なことなのだろうか。安心感が揺らいだときに眠るのが難しくなるのはそういうことなのかもしれない。

 わが子が眠りにつくまで・・・傍で見守りながらそんなことを考えてみたりした。

 ちなみに、わが子が眠りにつくまでの心の支えの一つは、小田和正の「言葉にできない」の歌である。「ラーラーラーラララ言葉にできない。あなたに会えて本当によかった。うれしくて、うれしくて言葉にできない。ラーラーラーラララ・・・」とエンドレスに繰り返していると、こちらも穏やかに気持ちになってくる。

 あなたに会えて本当によかった。

(2008年6月)