スタッフエッセイ 2008年4月

新車がやってくる!

村本邦子

 人の心は移ろいやすいもの。「自分は一生、絶対、やらない」と思い込んでいたのに、やるようになったってことがあるものだ。私の場合、ふたつある。ひとつは運転、ひとつはピアスだ。

 昔々、プレイセラピーでかなり長い間、おつきあいしたアスペルガーの女の子がいた。愛ちゃんというが、よく、「先生、運転しないの?運転しないと、大人になられへんで」と言われたものだ。愛ちゃんが住むところは、1人一台、車を持っているような地域だったので、大人はみんな運転していたのだと思う。なぜか、自分は一生、運転することはなかろうと思い込んでいた。

 ところが、どういうわけか、たまたま住むことになったところの駐車場が抽選で当たり、使うか使わないかという状況が訪れ、駐車場を使えるということは、かなり困難で特権的なことだということがわかったので、何を考えたのか、突然、運転免許を取ることにした。ちょうど息子が生まれたばかりで、同じく免許を持っていなかった夫と2人で、託児つきの教習所へ通い、苦労して免許を取った。

 子どもたちが小さかった頃は、よく車を使っていた。童謡をいっぱいダビングして、みんなで声を合わせ、繰り返し繰り返し歌いながら、あちこち旅行したものだ。子どもたちが学校に上がると、めっきり運転しなくなった。もともと、夫も私も運転が得意な方ではない。加えて、私は救いようのない方向音痴。迷いながら運転するので、危なっかしくて仕方がない。必要がなくなったこともあり、それから、まったく運転しなくなった。

 正確に言えば、ほんの一時期、なぜか急に運転できるような気がしてきて、運転し始めたことがあった。和歌山に二泊三日の旅行をした。帰る直前までスムーズにいって、かなり自信を持ち、「これからも時々、車で旅行することにしよう」と思ったのも束の間、環状線を降りるレーンを間違えて、あちこちからクラクションを鳴らされ、かなり恐い思いをした。それで、急に自信がしぼんで、再び運転しない状況に戻ってしまった。

 その頃、思っていたことがある。「運転できる」という感覚は、なぜか「自分が一人前の大人である」という感覚に近い。「愛ちゃんが言っていたことは、まんざら間違いでもないな」と時々、懐かしく思い出す。他の人はどうだか話したことがないので、もしかすると、これは、私だけの感覚かもしれないけど。私は、長い間、自分が大人であるという感覚を持てずに生きてきた(いまだに、とっても子どもっぽいところがある・・・)。大人の感覚は、初めて自分名義のクレジットカードを作ったとき、確定申告をするようになったとき、被扶養者でない健康保険証を持ったとき、少しずつ増えていった。運転も、明らかに、この延長線上にある。

 この春、生まれて初めて、外国でレンタカーを借り、自分で運転しながら旅をした。パックツアーでなしにハワイ島を旅しようとすれば、レンタカーを借りる以外に選択肢がないため、決死の覚悟だったが、ハワイ島は車も少なく、道もシンプルで、運転は快適だった。すっかり大人になった気分で、自信をつけて戻ってきたところ、なんと、留守中、夫が息子の引越しをしてやって、壁に当ててしまい、車は相当に悲惨な状態になっていた。修理すると50万かかるということで、いつもながら、いきなりだが、20年近く乗ってきた愛車を手放し、新車を買うことにした。

 子どもたちが大学を卒業したら、カーナビつきの新車を買って、あちこちの温泉地を旅して回るというのが私の夢だったが、なんと急な展開で、夢が実現することになった。ドキドキ・・・。新車は連休明けに来る予定だが、これからは、時々、運転して回るとしよう。今では、大人の感覚をもてないということはすっかりなくなったが、これで運転するようになったら、いよいよすっかり大人になれるような気がする。たぶん、最後のイニシエーションだ。

 「一生、やらないだろう」と思っていたはずのことが、いつのまにか当たり前のようにやることになる。人生とは不可思議なものだ。

(2008年4月)