スタッフエッセイ 2008年4月

一期一会?

桑田道子

 「道で話しかけられやすい人」というのがいると聞いたことがある。道をよく尋ねられる人もいると思う。関西ネタでは、聞いてもいないのに、おばちゃんが教えてくれるというのも有名とか。確かについ先日、神戸で、Vi-Project(NPO)のメンバーと美味しいと評判のパン屋さんを探していたとき、地図を広げて立ち止まったらすぐ、ほんの数秒後に、親切なおばさんが「どこか探してはるの?」と寄ってきてくれ、パン屋の名前を言うが、お約束のように「知らへんわ〜」と言われた。でもすぐに、「なんか目印ないのん?」と言われ、近くにあるはずの公園の名前を言うと「それはこっちやわ。あ、そういえば1本向こうに、そんな感じの店があったような気がするわ!ここもう1本向こうまで行き!行ってまた聞き!」とご親切に道案内してくれた。

 ほかにも、キャッチセールスにつかまりやすいとか、観光地で物を売る人(中国の帽子売りや、イタリアの花売り、アフリカの木彫り売りなど…)につかまりやすいなどもあると思う。私はまったく売り子さんにとっては魅力ないようで、私の前後ではさかんに物を勧められたり、「これあなたに似合う」など声をかけられているにもかかわらず、全然声をかけられない。自分から寄っていって、わざわざ買うこともあるぐらいで。

 現地の人や、旅行社に勤める友人には、「きっと観光客に見えないんでしょう、『絶対に』買わないってわかるんでしょう、向こうもプロだからね」と言われたりする。しつこい売り子さんもなかにはいたりして、ずーっとついてまわられて買うまで離れてくれなくて困ってしまってしぶしぶ買うようなこともあるらしいので、そんな経験がないのもラッキーかもしれないけれど、旅先ではその場のノリで別に要るものじゃなくても、現地のお土産を買うなんてことも思い出になったりするから、なんとなくさみしい気がしなくもない。

 そんなふうに、売り子さんにも声をかけられないし、道を聞かれることもないけれど、なぜか私は電車の中ではかなりよく声をかけられる。
●おばさんに「すみませんが、携帯電話を貸してもらえませんか?」と言われたことも3度ほどある。どの人も「○分に乗ったから、駅で待ってて」というような電話だったと思うけれど、切った後、ありがとうと100円を渡され、公衆電話がなくなって困るなんて話をする。
●私が本を読んでいたり携帯をさわっているにもかかわらず、声をかけてこられ、自分史を話してくれる年配のおじいさん、おばあさん。いきなり「ちょっと、おねえちゃん」と話し出されるのには、え?と思うけれど、苦労して会社を興した話や、疎開先での苦労話、最近した旅行の話などもなかなか面白いので、これもなにかのご縁と思ってふんふんと聞く。
●数年前、裾が斜めに切れているワンピースを好んで着ていたときには(まだそれほど斜めが流行っていなかった)、こっそりと「おねえちゃん、スカートずれてるで」「スカートこんなんなってんで」と教えてくれることがたびたびあった。せっかく「こっそり」だから、「ありがとうございます」と直すふりをした。
●小袋に入ったおかきを「さっき百貨店で買ってきたやつやから変なんとちがうで」ともらったり、私が洋菓子店の紙袋を持っていたら「なに、買うてきはったん?」「うちもこの店、好きやわ」と声をかけられたりする。
●私が掃除用具(110cmの棒状)を持って最終に近い環状線に乗ったときには、いきなり「さすが大阪はいろいろな物持ってる人が電車に乗ってますね」と言われ、パッと横を見ると10キロの米袋を持っている人、頭と首と両手首の計4本のネクタイを巻いている人、バケツをもっている人などがいた。この人達は皆同じ集団で、関西以外から転勤してきた人の歓迎会の帰りで持ち物は商品やバツゲームだったらしく、忘れてしまったけれど他にもいろいろな物を持っていた。

 書き出すとキリがないのでここらあたりにしておこうと思うが、昨日も「ちょっとこれ見てもらえませんか?」と携帯のメールを見せられ「これ、魚のマークやろか?」と尋ねられた。友人から来たメールの絵文字がなにかわからなくて、とのことだったけれど、そのあと、ついでに、と別の絵文字も聞かれ、たとえばどういう時にこの絵文字を使うか、の例までつけてほぼ全種類説明した。ただ電車に乗っているだけなのに、思いがけずおかしなひとときを過ごすことになる。

 そのせいか、私もわりと困ったときに、見知らぬ人に助けを求めることが苦手ではない。さすがに相手の迷惑にならないようにわきまえてはいるつもりだが、道を教わったり、なにか手を貸してもらったりするのは考える前に声をかけているかもしれない。袖振り合うも多生の縁だし、見知らぬ人だけれど少し会話するだけで、それまで「疲れたー疲れたー疲れたー」と壊れたレコードのように頭をめぐっているネガティブな気持ちが、サッとどこかにいってしまったり、満員電車で居心地悪い気持ちだったのがそれほどでもなくなったりする。お人好しなわけではないので、自分判断で、ちょっとヤバイ感じと思えば、無視してしまうこともあるが、ちょっとしたふれあいは敢えて避けなくてもいいかなと思っている。突然の車内で頼まれるようなことはそれほど大きなことではないが、情けは人のためならずともいうように、めぐりめぐって、お互い様なんだろう。

 今日も電車に乗る。電車に乗ると思うと、混雑した電車は嫌だな、酔っ払った人が隣りにきたら嫌だなとすぐに思うし、隣りの人が寝て、万が一もたれかかってくるようなときには即その人を起こす私だけれど、心のどこかには、またちょっとした人とのふれあいがあるのを楽しみにしているような気がする。これも関西独特なのかな…。

(2008年4月)