スタッフエッセイ 2008年4月

伊丹十三記念館

長川歩美

 愛媛県にある、伊丹十三記念館に行ってきた。伊丹十三が亡くなったのは今から11年前、1997年だが、彼の自死を伝える突然のテレビの報道に、驚きと違和感を持ったのを覚えている。以来ずっと、「伊丹十三はなぜ亡くなったのか」ということが心にひっかかっている。私は、昔も今も伊丹十三のファンというわけではないのだけれど、記念館を訪ねたのは、心のひっかかりになんらかの落ち着きどころを持ちたいという動機があった。

 記念館は黒い杉板塀の平屋で、上から見ると正方形の真ん中に中庭を配した回廊式の造りになっている。館内のどこにいても緑と風を感じる、自然と一体になった建物。入り口を入ると「やあ、いらっしゃい!」と伊丹十三の優しい笑顔の写真が出迎えてくれ、なんだか涙がでてくる。なんでだろう?記念館は、幼少時代から不登校を重ねた青年期を経て、デザイナー、俳優、作家、映画監督、また音楽・料理など多方面の仕事人・趣味人としての伊丹十三を紹介していたが、彼の死因についてはまったくふれられていなかった。

 絵、音楽、料理、人、映画、そして暴力・・何に対しても率直に真実に向かい合っているように感じられる彼の一生のなかで、彼の死だけが謎に包まれている・・記念館を訪ねて、そんな印象がますます強くなってしまった。テレビ報道では、不倫疑惑に対して身の潔白を証明するための自死ということだったが、記念館には妻である宮本信子さんの伊丹十三にたいする愛情があちこちにあふれているように感じられた。

 それにしても、なぜ私はこんなにこの人の亡くなり方が気になっているのだろう。私にとって、伊丹十三の仕事の中で一番印象深いのは「ミンボーの女」という映画。我々にとって恐ろしい存在である暴力団にたいして、賢く冷静にふるまえば大丈夫なのだ、というメッセージを含んだこの映画を見たとき、暴力団に限らない、もっと身近な暴力への対し方についてのヒントと勇気をもらった気がした。また「こんな映画をつくってこの人は大丈夫なのか?」という心配な気持ちも湧いた。

 暴力にどう対するか、自他の暴力性をどう扱うかというのは、自分にとって今でもリアルで重要なテーマだ。「ミンボーの女」に心を動かされ、伊丹十三の死にひっかかりが残っているのは、自分の中に「暴力から目を背けたい、逃げたい」思いと、「正面から向き合って、考えたい」思いが拮抗しているのだと思う。

 「ミンボーの女」のあと、刃物を持った5人組に襲撃され、顔や両腕などに全治三ヶ月の重傷を負う。「私はくじけない。映画で自由をつらぬく。」と宣言していたが、その後も数々の脅しや嫌がらせがあったという。その影響か、伊丹十三の死にはいろんな説がある。「自分か妻か、どちらの死を選ぶ?」とおどされていて自死をえらんだのだとか、医療廃棄物の問題を追いつめすぎたのだとか、病気であったなどなど。

 この先もきっと本当のことはわからないだろうから、このひっかかりはずっと抱えて考えていくことになるのだろうな。伊丹十三の記念館をたずねてみて、この人はいろんなことを一生懸命考えて、純粋にいろんなことに向き合った面白い人だったのだなと思った。死なないでほしかったなー。あれ、なんかちょっとファンみたい。こんな風に、後生の人(私だけではないと思っているのですが。)に心のひっかかりを残していったということにも、彼の活動の意味があるのかもしれない、と思い至った。

(2008年4月)