スタッフエッセイ 2008年3月

天真爛漫〜笑顔らんまん〜

おだゆうこ

 陽の光に春の訪れを感じるものの、風はまだ肌寒く、春が見え隠れする3月。
 この時期にはいろんなことが背中合わせに起こるゆえの魅力があるようにおもう。寒さの中の柔らかな日差し、別れと出会い、悲しみと喜び、不安と期待・・・。4月になり、花が咲きこぼれる春爛漫までの間を揺らめいているこの時期が私は結構好きだ。

 しかし、今年の我が家には一足先に春がやってきた。この春で一歳を迎えた娘は、まさに春爛漫!何がそんなに嬉しいやら、こぼれるような笑顔と笑い声をたてて、歩き回っている。目が覚めて、ママを見つけて嬉しい!「ハイどうぞ」をして、「アリガトウ」といってもらえるのが楽しい!音楽を聴いて身をよじって踊るのが気持ちいい!天真爛漫という言葉は彼女のためにあるように思えてくる。
世界からの刺激をそのまま全身で受けている喜び、何も考えていない無垢な幸せを生きているのだろう。覚えてないけれど私にもこんな時期があったのだろうなぁ・・・と、うらやましくもなる。

 この天真爛漫さは、全身で物事を受け、感じたことそのままを安心して丸ごと親にゆだねることのできるこの時期ならではのもののように思う。言葉がわかるようになり、思考し、成長するにつれ丸ごとの世界とのつながりは薄れ、人間世界の世知辛さも知っていくだろう。そうした世の中の荒波をたくましく生きていくうえで、幼少期をどれだけ天真爛漫に過ごせたかが貴重な蓄え(親が与えてあげられる内的資産)となるように思う。世の中に出て行くとき、愛情たっぷりのきび団子が腰にぶら下がっていると不思議によい仲間を結びつけ、たくましく生きていける「桃太郎のきび団子」のように・・・。
 また、そうした天真爛漫さは周りをも春のようにあたたかく、幸せにしてくれる。与えているようで結局は与えられていることに気づく。子どもの力は本当にすごい。

 一方、娘の天真爛漫な姿と同時に、思い出される子どもたちの顔がある。十代の頃に初めての児童施設実習で出会った子どもたちのことから、近年まで関わってきた子どもたちのことが、ふと浮かんできたりする。当時は受け止め切れなかった子どもたちのメッセージが、ああこういうことだったのかなぁと今更ながらわかったような気がしたり、何かどこかで繋がっているような気がしている。大変なこともあるけれど、わが子とちゃんと向き合い、心から可愛く大事に思えるのは、彼らとの出会いがあったからだと思う。何も出来なかったけれど、わが子を大事に育て、これから出会っていく子どもたちと向き合い続けることが今の、これからの私にできることだと思う。

 これからも、花が咲きほころぶような子どもたちの天真爛漫な笑顔がみられますように。

(2008年3月)