スタッフエッセイ 2008年2月

共鳴〜癒しの力

西 順子

 今、毎朝楽しみにしているのが、朝のNHKの連続テレビ小説「ちりとてちん」。女流落語家が主人公のお話だが、主人公らと共に泣いたり、笑ったりで、仕事に出かける前の朝のひと時を楽しんでいる。
 先週は一つのクライマックスだった。師匠が病気で余命が幾ばくもなく、主人公含めて5人の弟子が、病床の師匠から最後の稽古をつけてもらう・・という場面であった。師匠は、弟子達それぞれに、それぞれの個性を引き出しながら落語を伝え、そして、弟子達はそれを受け継ぎ、それを活かし、弟子の落語会を無事に終える。と同時に、師匠は亡くなった。

 この一週間、毎朝、夫と15分間のテレビ小説を見ながら、それぞれに涙していた。私は私で涙ぐみ、夫は夫で1人涙していた。たった15分の話だけど、感情移入し、映像にそれぞれの思い、人生の思い出などを映し出していたのだろう。私はそこに何を映し出していたのだろうか。言葉ではうまくいい表せないが、人との出会いの不思議と喜び、喪失の悲しみ、次世代にたくす思い、前世代から大切なものを受け継ぎ、生かして生きるということ・・さまざまな思いが一度に心のなかを駆け巡っていたのだろう。
 夫は何を思い、涙していたのだろうか。夫もきっと言葉ではうまく表せない、何か大切なものが動いていたのだろう。夫は既に両親を亡くしていることを思うと、夫の悲しみをそこにみるように思う。
 テレビが終われば、「さて仕事」と、お互いに現実に戻り仕事に出かけるが、ほんの一瞬のひと時、主人公と共に、涙する瞬間がある。普段言葉では表すことはなくても、人はいろんな思いを抱いて生きていることを、改めて感じる。そして、同じものを見て涙するとき、ドラマの登場人物と共に、心の奥に響き、共鳴しあう何かがあるのだろう。人の心が、心の奥でつながっていることを思う。

 小説、文学、映画、音楽、演劇・・など、表現される媒体を通して、人々はそこに様々な感情を映し出す。涙は癒しの力がある、と何かで読んだ。芸術の媒体に、感情を映し出して、涙することは、普遍的に人間がもつ癒しの力なのだろう。
 毎週土曜日の晩はエアロビクスに行くが、レッスンの最後はバラードの音楽がかかり、ストレッチに入る。バラードの音楽と一体となってストレッチをしていると、不思議だが、思わず涙ぐんでしまう瞬間がある。緊張が抜け、一気に脱力して「無」になるからであろうか、音楽に心が共鳴する。一日のカウンセリングの面接を思い巡らし、喪失の悲しみと痛み、そしてそれを生き抜く人間の力に思いを馳せると、思わず涙ぐんでしまう。ほんの一瞬のことだけど、その瞬間は、私にとって、心の奥が共鳴する癒しの瞬間なのであろう。
 一瞬のことに過ぎないが、でも心が揺れ動く共鳴の一瞬によって、心を潤しているのではないか。私のために、そんな涙ぐむ一瞬を大切にしてあげようと思う。

(2008年2月)