スタッフエッセイ 2008年1月

人のからだ

安田裕子

 『人体の不思議展』を観に行った。全身の標本をはじめ、筋・骨格系、頭部、神経系、消化器系、呼吸器系、循環器系、泌尿器系、生殖器系、胎児系などの標本が、広いフロアに展示されていた。

 まず驚いたのは、これらすべてが人体標本だということであった。「プラストミック」という新技術を用いた標本である。20世紀後半までは、標本といえば、ホルマリン容器に入った白色の保存臓器や模型の骸骨などが使用されていた。ホルマリン漬けの標本は、その匂いや扱いにくさが難点であったというが、そうした問題を解決しえたのが、「プラストミック標本」。新技術によりつくられたプラストミック標本は、匂いもなく、弾力性に富み、また直接触れて観察することができ(会場では、人体標本に触れることは厳禁だったが)、常温で半永久的に保存できる画期的な人体標本であるということだった。この革新的な技術により、医療の現場など特定分野でしか知りえなかった人体標本解剖の一般公開が可能になり、この展示会が実現されたとのこと。そして、プラストミック人体標本のすべてが、生前の意志に基づく献体によって、提供されたものであった。なかには胎児の標本もあったが、3カ月の状態から順に10カ月まで成長の流れをおうようにして展示されており、標本の価値や展示会の意義とは別に、この世に生を受けることのできなかった赤ちゃんのことが、思いしのばれた。

 それにしても、人体標本を見て回りながら、人のからだはこんなふうになっているんだなぁ〜と思うばかりの、不思議な時間だった。人の外見はそれぞれ違うが、ひとかわむけば、そこに生き物としてのからだのしくみが存在するのだ。

 たとえば、呼吸器系の標本として、肺に分布する血管を肺動脈と肺静脈で色分けしたものがあった。その標本は、無数の細かな血管が肺をぐるりと包み込んでいる様子が、よくわかるものだった。無数の血管が、網の目のように肺に張り巡らされている状態に、からだの成り立ちの精緻さへの素朴な感動や畏敬の念など、さまざまな感情が沸き起こった。蝉の抜け殻のようになった、人の姿かたちを残した一枚続きの皮膚も、展示されていた。

 人間は、からだのすみずみに酸素が送り届けられ、二酸化炭素が体外に排出されるという循環のなかで、生命を保ち、様々な活動を行っている。とりわけ人間の活動の司令塔ともいえる脳は、酸素が数秒届けられなくなると、機能不全となってしまう。私たちは、こうしたからだの営みとその恩恵を、普段はほとんど意識することはない。もちろん、学校教育の一環で、理科や保健体育の授業で学んだことではあるが、人体標本を前にして、あらためて、言葉にならないような圧倒されるような実感を伴いながら、人のからだの不思議に触れることができた時間だった。

 あと、印象深かったことを、もうひとつ。会場の各所に、からだのしくみにまつわるコラムがいつくか掲示されていたのだが、そのうちのひとつに、「我慢したおならはどうなるのか?」という話題があった。いつかどこかで、我慢したおならは害なくからだに吸収されるものだと聞いたことがあったが、それはどうも間違いのよう。では、どうなるかって?
はい。口から臭いを伴って出るそうです(笑)。

(2008年1月)