スタッフエッセイ 2007年12月

大切な友人を悼んで

前村よう子

 先週、一人の友人が逝ってしまった。癌と闘い抜いての結果だった。金沢に向かう電車の中で、お通夜、そして告別式で、私はずっと、彼女や他のメンバーと共に過ごしていた学生時代を思い浮かべていた。

 彼女は大学時代の友人だった。当時関西では二つしかなかった共学の女声合唱団で、彼女はメゾソプラノ、私はアルト。同期9人の中で、下宿暮らしをしているのは私と彼女だけだった。最初の体育の授業前に三宮の高架下までズックを探しに行ったことから始まり、放課後の階段教室での発生練習、ジョイントコンサート、音楽祭、定期演奏会など、部活の中での一つひとつのエピソードが、鮮明に蘇った二日間だった。

 彼女は部活と同時に、自治会の現代講座実施委員会にも所属していた。「せやせや、部活との両立で大変やったやろなぁ」と思いを馳せた時、その姿が私の娘に重なった。娘は、この春から大学生となり、私達の母校に通っている。理系であることと、自宅から大学までの通学に時間がかかること等から部活はしていない。「部活はでけへんけど、授業以外でも何かで大学に関わりたいねん」と、自治会の学園祭実行委員会に所属した。私が金沢で友人を悼んでいた頃、ちょうど母校では学園祭の真っ最中で、告別式は音楽祭に当たっていた。学生時代の頑張っていた友人と、現在の娘がクロスした瞬間、それまで友人を失った哀しみでいっぱいだった私に、別の哀しみが押し寄せた。

 友人のご両親はご健在である。お二方は、最愛の娘を悼む立場になってしまわれた。子どもが自分より早く逝ってしまうということの残酷さが、より現実味をもって私には感じられた。お通夜や告別式という場に身を置かねばならないことの辛さ、哀しさ、痛み。娘を見送った後も、ずっと感じ続けるであろう様々な思い。それがこんなに切実に感じられたのは初めての体験だった。

 子どもの頃からの様々な体験からのトラウマとも言えるが、私の感情表現にはいびつな所がある。同居していた祖父が逝った時、当時中学生だった私は、素直に哀しみを感じることさえできなかった。また、私に、子どもの頃の辛い日々を生き抜く力のきっかけを与えてくれた母方の祖父母が逝った時ですら、私は自分の感じている哀しみを素直に表現することができなかった。そんな私が、今回、初めて素直に哀しみを感じ、それを受け取り、表現することができた。自分の心の深い部分で、体験と感情がしっかりつながったのを感じた。

 サコちゃん、ありがとう。家族の為に、生徒達の為に、関わってきたみんなの為に、一生懸命生きたあなたの友人でいられて、私は幸せだったし、これからもあなたの友人で居続けたいと思ってるからね。

(2007年12月)