スタッフエッセイ 2007年11月

サービス

桑田道子

 以前にもこのエッセイで、お店の人の親切を書いたことがあるが…
 つい先日、友人から届いた手紙の返事を出そうと、朝、切手を貼った封筒と便箋とを持って家を出てきた。FLC本社での仕事のあと、帰り道にポストで出してしまおうとJR天満駅近くの喫茶店に入って、手紙を書くことにしたが、手紙をしたため(したため、というとなにか高尚な感じがする!)、いざ、封をしようと思ったら、のりもテープも持っていないことに気づいた。

 コンビニで買うか、今日は出さないで家に持ち帰ろうか、あ、そうだ、百均が近くにあるし、まだ開いてるはず、、、と考えているうち、お店の人と目があった。よほど残念そうにしていたのか、お店の人がスッとテーブルに近づき「なにか、お貸ししましょうか」と声をかけてくれ、のりを貸してくれた。今日、投函する必要は全くなく、今、封できないなら、明日でも明後日でもいいだけのことなのに、私も朝から手紙のことを考えていただけに、今日出せないことが、なぜかすごく大きな失敗に思えてガックリきていたようで、その場で、スティックのりをお借りして、しっかり封をして投函できることが、ちょっとオーバーすぎるぐらい嬉しかった。

 お客さんと目があって、呼ばれていなくても「注文か、会計か、なにか用事か」と応答される店員さんは多くいらっしゃるだろうけど、いきなり「なにか、お貸ししましょうか」という言葉は、既に私が何を必要としているのかまでわかっていたから出た言葉なんだろう。客のひとりが手紙を書いているのを見かけただけで、そこまで気がまわるお店の人のサービス精神、気配りもすごいなぁ、と思ったり。つい最近、欧州出身の友人と話をしていて、「消費者側ならば日本、生産(提供)者として働く側ならヨーロッパがいいね」と勝手なことを話して笑っていたところだったので、あらためて日本のサービスを思った。

 少し思い返してみるだけでも、2、3分発車・到着時刻が遅れた電車のなかで「お急ぎのところ、ご迷惑をおかけします」と何度もアナウンスがされたり、荷物の不在通知を見て連絡をしたら、すぐに気持ちよく再送してくれたり、日本のサービスは手厚すぎるほど丁寧だなと思うことがたくさんある。丁寧かつ安心のサービスで、たとえば日本だったら、デパートなどで買い物をして自宅まで(プレゼントの贈り先)発送の手続をしたら、届かない可能性なんてほとんど心配しない。当然、予定日時通り運んでくれるものだと思っているし(この前提のない国がなんと多いことか!)、ある大型スーパーの社員の方に聞いた話だが、「レジの打ち間違えがある」とクレームの電話があった場合には、確認よりなにより、言われた額を持って自宅へ直接出向き、返金するそうである。対応については時と場合にもよるだろうが、確認します、ということが、より不信感を招いてしまう可能性もあるため、そうしているとのことだった。

 もちろん、ミスがあった場合に消費者側が生産(提供)者に誠実な対応を求めることが悪いことではないし、生産(提供)者には極力ミスのないよう努め、万一にはミスをカバー、フォローする責任がある。けれども、その消費者側のクレームを言う権利も度が過ぎると、生産(提供)者に過酷な労働環境を強いることにつながるだろうし、甘えはよくないけれど、権利性が飛び交う世の中も行き辛いものだなぁ、自分がいっぱいいっぱいで、自分にも周りにもピリピリしているよりも、ときには、ま、しょうがないよね、と思えることもゆとりなんだろうな、と思ったりする。生産者も会社を離れれば一消費者であり、またその逆もしかり。私自身も自己中な考えで生きていることには充分自覚があるので、お互いに首をしめるような方向ではなく、ちょっとした思いやりを大切に、社会を築いていくことができれば…と思う。

(2007年11月)