スタッフエッセイ 2007年10月

語り継ぐ行為が実るとき

安田裕子

 秋が少しずつ深まりつつある日、小学校6年生の子どもたちが、平和教育を受ける場面に、同席する機会に恵まれた。広島の原子爆弾の影響で白血病になり、12歳の若さでこの世を去った佐々木禎子(ささきさだこ)さんに関する、映像記録を鑑賞する教育場面であった。

 禎子さんは、2歳のときに広島市に投下された原子爆弾で、爆心地から1.7kmの自宅で黒い雨により被爆した。そのとき一緒に被爆した母親は、身体の不調を訴えたが、禎子さんは不調を訴えることなく元気に成長していった。禎子さんは、小学校高学年のとき、50メートルの距離を7秒台で走り、徒競走の代表に選ばれるほどの、活発な子どもだったという。原子爆弾の影響を調べるためにアメリカが広島に建てた研究所で行われた1954年8月の検査では、何ら異常はなく、禎子さんのカルテには健康状態という記録がなされている。

 ところが、11月頃より首のまわりにシコリができ、それが、翌年1月にはおたふく風邪のように顔が腫れ上がり始めた。病院で調べても原因が分からず、結局、より大きな病院で調べたところ、白血病であることが判明した。長くても1年の命と言われ、禎子さんは入院することとなった。禎子さんは、鶴を千羽折れば元気になれると信じ、千羽を超えても鶴を折り続けたという。入院中に禎子さんは、見舞いに訪れた友達に、中学校生活はどんな様子かと大きな声で尋ねていた、という記録が残されている。将来の夢や希望に溢れていたであろう12 歳の少女の胸の内を察すると、あまりに痛々しい。

 禎子さんの話を見聴きしながら、現在禎子さんと同じような年頃の小学6年生の子どもたちは、そんな彼女の生涯に、何を感じ考えたのだろうと、ふと思った。後で子どもたちに尋ねてみると、「こういうの、嫌い。なんだか怖いから」「なんにも感じない」といった感想が、2,3聴き取られた。

 より多くの子どもたちに感想を尋ねれば、さらに様々な感想や意見が寄せられたことだろう。感じ方が違えば表現の仕方も違う子どもたち。その応え方は、子どもの数だけヴァリエーションがあるかもしれない。なかには、一瞬「えっ?」と思うような応えが返ってくるかもしれない。実際、「なんにも感じない」という返答には、多少残念な気持ちがした。

 しかし、それは、私の感じ方が多分に入り込んでいるのだろうとも思う。改めて、子どもの目線から広島に投下された原子爆弾の悲惨な現実を捉え直したとき、「怖い」と戦争の恐ろしさ強く感じたからこそ、何も感じたくないと感覚を遮断した、という見方もできる。そうした経験を、いつしか、なにがしかの実際の行為として実らせるときがくるのではないかと、期待を込めて思う。

 戦争の恐ろしさを生身で体験をした人がいなくなった頃に、再び戦争が起こるという。戦争だけではない。先人の体験を、活かし、いかに実りあるものにするのかは、語り伝えられた私たち後世の人間に、ゆだねられた責任であるように思う。人は、経験を語り継ぎ、それを実らせる知恵をもっている。小学校の子どもたちと一緒に、広島の原子爆弾にまつわる平和教育を受ける機会に恵まれた秋が薫る日に、そんなことを考えた。

(2007年10月)