スタッフエッセイ 2007年10月

幸福を知る才能

森葺a代

 いつの頃からか、私は自分の誕生日を内心楽しみにしている。そして、去る2007年7月13日(金)は、私の第49回目の誕生日だった。今年は、サイト日記にも書き、かなり公表し、公に喜んだ一日だった。

 前日の夜から、『49年前の明日、私は生まれるんや(なんかちょっとへん?)』と、そわそわうれしい気分になる。今年の誕生日は、「13日の金曜日」ということで、40代最後の誕生日にふさわしい、とうれしさもひとしおだったのだ(やっぱりちょっとへん?)。というのも、「13日の金曜日」って、巷では(西洋では?)、ホラー映画のタイトルになるくらい嫌がられているが、私は子どもの頃から、私が生まれた13日を、そんな縁起が悪いなんて嫌うことないやんか!という反発心とこだわりを持っていて、今回、40代最後の記念すべき誕生日に、待ちに待った「13日の金曜日」が来たことが、妙にうれしかったのだ。 

 そして朝から、なぜか(歳のせいか?)、今自分があることが涙ぐむほど幸せで、会う人、会う人に「今日、私、誕生日やねん!」と言いまくった。聞いた人は一様に、「おめでとう!何歳か聞かんとくわな」と遠慮してくださるのだが、聞かれてもいないのに「49歳!」と一方的に自己開示(笑)。

 また、私はいつの頃からか、自分の誕生日に実家の母に「今日は誕生日、ありがとう!」という言葉送っている。実は、私は第1子の男の子を生後2日で亡くしている。彼は10ヶ月間ちゃんと私のお腹の中にいたにもかかわらず、生まれると体重は1680グラムしかなかった。未熟児でもちゃんと育つ子もいるのに、彼は、夫が生まれる前から決めていた「一会(いちえ)」という名前のとおり、私たちにひと目会っただけで天国へ行ってしまった。亡くなった子どもの歳は数えてはいけないと言われるが、生きていれば21歳の青年だ。

 今私の、「自分が生まれ今生きている」という幸福感は、この子の命を通して、また、そのあと、何ごともなく生まれた娘、息子の命の不思議さや尊さに触れたことも影響しているかもしれない。   

 「幸福を知る才能」という言葉がふと頭に浮かんだ。これは、宇野千代さんの本の題名。初めて本屋さんでこの本に出会ったとき、この題名に惹かれて手に取った。ページをめくると、「私は幸福だか不幸だか、そんなことはちょっと言えない。不幸だとか幸福だとか言う言葉くらい、本人の気の持ち方次第のものはないからだ。自分が不幸が好きなときは不幸だし、幸福が好きなときは幸福だ。おかしな言い方であるが、不幸になるのも幸福になるのも、本人の望み次第で、私の好き勝手になれるのだと言う気がしている」。この書き出しが、小気味良くて気に入り、買い求めたのは確か20代後半。さらにあとがきで、「幸福はどこにあるか。幸福はそこにある。幸福を知る才能だけが、幸福を探し当てるからである」と書いている。

 幸福を知る才能。そういえば、私の祖母も言っていた。「喜びごとを喜べば、喜びごとが喜んで、喜びをつれてくる」と。そうだ、これからも小さな幸福をみつけよろこび、幸福を知る才能を磨き、人生楽しく生きていこう。

(2007年10月)