スタッフエッセイ 2007年9月

白と黒と赤の世界

渡邉佳代

 覚悟に覚悟を重ねていたが、今年の上半期は例年になく、忙しかった。じたばた足掻き、汗かき、ベソかき、恥をかいた半年でもあったが、しっかりと自分の力になってきたように思う。よく頑張った自分へのご褒美に、この夏、えいや!と思い切って、バリ島に行ってきた。以前から、バリの文化、伝統芸能に関心があったのだが、思った以上によかった!

 乾季だからか、酷暑だった日本よりカラッとしていて涼しく、それでもまっすぐ肌に食い込むかのように降り注ぐ太陽の光、ハイビスカスとブーゲンビリア、少し粉っぽいバリコーヒーのコピ、ワイルドで見たこともないたくさんの魚が泳ぐ真っ青な海、浜辺で砂まみれの手でマッサージしてくれたおばちゃん、かわいい物売りの子どもたち、縁側でゆったりと煙草をくゆらすおじちゃん、法定速度がないのか?と疑うほどのスピードで行きかう車、プルメリアの上にひっそりと滲む真っ白な月、見渡す限りの田んぼに飛び交う蛍たち、ピナコラーダ、アラック、陽気に声をかけてくる人たち・・・すごい!すごすぎる!!体が全身で喜んでいるのを感じる。

 バリはかなり観光地化されているが、まだまだ人の手がつけられていないジャングルからは、昼間はグワッとエネルギーが押し寄せてくるような感じがし、夜は何かが息を潜めて蠢いているような妖しさも残っている。その中で、大きく呼吸し、手足を伸ばし、バリの風に吹かれていると、自分の深いところで何かが反応しているような、そんな不思議な感じがする。普段、自分が使っていない心の筋肉をゆっくりほぐされているような感じだろうか。バリパワーなのか、日本ではなかなかできない規則正しい生活のおかげか、毎日パワフルに動いて疲れは残っているはずなのに、体もどんどん軽くなっていった。

 バリ舞踊の1つであるケチャも素晴らしかった。私が見たのは、ウブドのパダン・トゥガル集会所でのケチャ。プルメリアの甘い匂いがする星空の下、パッツリ左右対称に割れたバリ独特のゲートを背景にして、白と黒と赤の布が南京玉すだれ状にたなびき、100人を超える男性たちが円になって「チャッチャッチャ」という声が次第に高まっていくという、ダイナミックなダンス。前夜にサレン・アグン宮殿で見たレゴンダンスでは、なぜか見ているうちに、自分の中の「孤独感」が刺激されて寂しくなったのだが、ケチャは見ているうちに「希望」「未来」という言葉が浮かんでくるという不思議な体験をした。バリ舞踊は、ダイレクトに心に訴えてくるパワーがあるのだろうか。

 以前から少し調べてはいたが、バリに住む人たちの思想で驚かされたのは、二者択一しない独特な世界観。バリ舞踊で有名な聖獣バロンと魔女ランダの終わりなき闘いにも表されているが、日本の水戸黄門のように善が最後に勝つにはならない。善と悪、正と邪、生と死、光と闇…など対立するものの両方があって、世界が成り立っているというバリ・ヒンドゥーの考え方である。

 バリの神聖なモニュメントの多くには、白と黒のギンガムチェックに赤い縁どりのされた布が巻かれ、その結構現代的なデザインにも度肝を抜かれたのだが、あまりにもよく見かけるので、バリの人に聞いてみると、その色にも意味があるとのこと。「この色は世界を表しているんだよ。白は良いもの、黒は悪いもので、両方あるのが世界だし、人間でしょう?でも、人は白になりたい。赤はstrongを表すの。黒を恐れなくてもいいよ、大丈夫だよっていう意味」と教えてもらった。その人があまりにも当然のように「だってそうでしょう?」と話すので、思わず涙が出そうになった。

 私にも、自分で嫌いな部分がある。ドロドロした黒い感情や、嫌いな自分の部分を切り捨てようとしても、ある時、ひょいっとまた見たくもない自分の部分を見つけて、がっかりすることもある。でも、そんな部分も私らしい「自分」なんだな。その人にそう言われて、自分の認めがたいところも健気に頑張っているではないか、よしよし、また一緒に生きていこうよ、なんて自分に呟いてしまった。私たちは、よく人とうまくつきあっていきたいと思うが、まずは、大事な大事な自分ともうまくつきあっていくことも大切だ。当たり前のことだが、つい頑張りすぎると忘れてしまうような、大切なことに気づかされた。

 旅は熱い人たちに出会えていい。今回の旅でも、バリに住むたくさんの人たちと笑い、語り合い、握手したり抱き合ったりして別れた。「また来年!」「今度、いつバリに帰ってくる?ニューイヤーには来る?」なんて屈託なく別れ際に言われて、おいおい、京都からふらっと行ける距離じゃないよー!と思いながらも、よっしゃ、また近々、バリで友達になった人たちに会いに行こう!と思う。それまで、みんな、元気でね!私も白と黒と赤の世界で、精一杯生きていこう。

(2007年9月)