スタッフエッセイ 2007年7月

優しさにかこまれて

くぼたようこ

 真ん中の子の小学校入学を機に引っ越そうと決めて、家探し、土地探しを始めた。売り出し中のまだ人が住んでいる家を見に行ったとき、その家の住人は成人した子どもが3人いる年配の夫婦だった。「この家で子育てしていた頃は、楽しかったわよ〜」と話かけられて、自分の10数年後が重なった。私も10数年後、そんな風に言えたらいいな、そんな家を造っていこうと。

 気に入った土地を見つけ、工務店を探し、建築士との打ち合わせを重ねた。「楽しんで造った家は、良い家になると思うの」と建築士に伝えて、私はこの家造りを楽しもうと思っていた。夫は、子どもたちに、家が知らない人の手によって知らぬ間に出来上がるというのではなくて、たくさんの人の手によって作り上げられること、そして家造りを通して物造りを体験させたいと思っていたようだ。

 我が家の構造材となる吉野杉の産地に行き、杉林や製材所を見学したり、植樹させてもらったり、餅つきや焼き芋のイベントに参加させてもらっりした。大工さんが工事をしている横で、木の切れ端をもらって、のこぎりで切ったり、金槌で釘をトンカントンカン打ったりして、大工さんごっこもした。押入になる板の裏側には、ポスターカラーで思いっきり記念のお絵かきをした。私は家族の似顔絵と、それぞれの夢を描いた。板塀は、姉やいとこたちも誘って、みんなでペンキ塗りをした。子どもたちはとても喜んで、真ん中の子は将来ペンキ屋さんになるのだとか。家具や床のワックスがけも、みんなで丸2日かけてした。遊びに来ていた母も手伝ってくれた。

 そうして入居前から、たくさんの人の優しさと、楽しい思い出のたくさんつまった家が出来上がった。

 だけど、住み慣れた家や地域を離れることに、寂しさを感じてもいた。窓から見える生駒山、ケヤキの大木、桜並木、季節ごとに咲く花、私も遊び、子どもたちも遊ばせた公園・・・みんな大好きだった。毎週おかずをお裾分けしてくれた人、地域の仕事のフォローをしてくれた人、よく子どもに話しかけてくれた人・・・近所の人たちのまなざしはいつも温かかった。引っ越し前に、挨拶回りをしたときには、寂しいさと感謝の入り交じった気持ちがこみ上げて、涙が出た。

 上の子も、引っ越す数日前より、「なんて言うんかな・・・この感じ。寂しいというか・・、嬉しいのもあるんやけど・・・」としきりに表現しがたい気持ちを口にしていた。最後の夕食の時に「この家、楽しかったよなぁ」とぽつりと言う。そうだね、あなたにとっては、生まれて10才まで育った家だもんね・・・

 夫とも「この家でいろいろあったなぁ・・」としみじみ語り合った。夫にとっては、結婚し、父親となり、仕事と子育ての大変な時を過ごした家だ。

 私にとっては30数年暮らし、私を育ててくれた家。家族5人で暮らし、姉妹3人で暮らし、一人暮らしをし、結婚して夫と暮らし、子どもたちが生まれ、また家族が5人となった家である。

 それぞれの、いろいろな思いのたくさんつまった家とのお別れ。引っ越しうつになることは覚悟していた。

 引っ越しの当日、近所の人たちが昼食におにぎりとおかず、お菓子を差し入れてくれた。新しい家に引っ越したら、引っ越し先の近所の人も子どもにと、お菓子を持ってきてくれた。数日したら、別の人が、「玄関先に飾っとき」と、綺麗なあじさいの大きな鉢を持ってきてくれた。ちょっとした知り合いの人が、食材をお裾分けしてくれたり、歓迎の集いをするから予定教えてねと言ってくれた。

 引っ越しのバタバタが少し落ち着いた頃、前の家の近所の人から「明日、肉じゃが作るから、お迎えのついでに取りに来ない?」と電話があった。嬉しかった。

 みんなの優しさにかこまれて、私の予想に反し、引っ越しうつにはなっていない。近くのお寺から、一日数回、鐘の音が流れてくる。この鐘の音が、きっと私たちの生活の大切な部分になっていく。種を蒔いてもいないのに、朝顔がたくさん芽を出した。どんな色の花が咲くのだろうか。駅の近くにお花屋さんを見つけ、ほおずきの鉢を買った。子どもの頃、母がほおずきの実の中身をつまようじで取り出し、洗って口に含んで蛙の鳴き声ような音を出してみせた。私は何度やっても音が出せなかったけど、今年は子どもたちと一緒にやってみようかな。

 今、何気ない日常が、以前より私を惹きつけている。

(2007年7月)