スタッフエッセイ 2007年6月

安産の神様と仲間たち

津村 薫

 偶然だが、助産師・看護師のための講義や研修に出向く機会が最近、複数あった。健康な私が病院のお世話になることは滅多にない。この職種の方とお目にかかるのは、たとえば各市町村の保健センターに講演に行くなど、あくまで仕事を通してという方が圧倒的に多い。

 講義に行くにあたって、思い出してみたのは、自分がお産をしたときの体験だ。大病院でお産をした私は、人工的な痛みに象徴される嫌な思いもしているのだが、たくさん人がいれば面白い出会いもあるもので、年齢を重ねた余裕なのだろうか。こみあげてきた思い出は意外にも、懐かしくも温かい繋がりだった。

 「顔が良くて、身長があと20cm高ければモデルになれる」(これも散々な表現だよね〜)と言われたほど、当時の私は細かった。40sを切っていたのだが、152cmと身長が低いので、そうひどい話ではない。でもこれは既に過去の栄光で、いまの私しか知らない人には想像しようがないはず(苦笑)。とにかく、ちびだった私は自然分娩が危ぶまれ、臨月にはレントゲンを撮ったほどだった。

 「何とか、自然分娩は可能」という判断がなされて帝王切開は見送られたものの、予定日を1週間過ぎてもお産が始まる兆候がなく、医師の判断で入院することになった。人工的にお産を起こすために、処置がなされた。産道に余裕がなかったのか、それでもお産はなかなか進まない。強い陣痛がきても、夕方にはおさまってしまう始末。その繰り返しの中、強く痛んでいるときに夫が会いに来てくれたが、給食を配るおじさんのようないでたちで処置室に入ってきたので、思わず笑ってしまったっけ。それが終わると病室に戻り、しばらく様子を見ることになった。

 私がお産をした大病院の産婦人科病棟では、婦人科系の病気の方の病室、切迫流産や切迫早産の方の病室、そしてお産の方の病室と分けられていた。お産ラッシュだったその時、私はお産の病室からあぶれてしまい、切迫流産や切迫早産の方の病室に入れられたのだ。でも、これが私にはとても良かった。トイレにすら自由に行けないのに明るい人や、可愛い小さな男の子がお父さんと一緒に嬉々として会いにくる、そんな我が子をとても可愛がっている二児の母目前の人や、もう4人目!というデンと構えた人、結構たくましい人たちに、新米ママの私は、かなり励まされることになる。

 特に4人目を出産しようとしているというお母さんは、本当にたくましい、豪快な人だ。第一子を妊娠したのは、なんと高校生のときだったそうな。何も知らずに平気で体育をしていたという話には、病室中が仰天して、「ひぇー!」と叫んだ。お見舞いのお菓子を分け合ったり、結婚のいきさつを話したり、和気藹々とした雰囲気の中、しばし私は不安や痛みを忘れ、ほっこりした気持ちになったものだ。皆とひとしきり談笑して横になった。その夜中、異変を感じて私はナースコールをする。天井の真ん中の一点がポッと赤く染まる。ナースコールを押した印だ。後に聞けば、皆が寝静まっていたはずの夜中だというのに、病室中の人がそれに気づいたらしい。私は破水していた。看護師さんに誘導され、私は陣痛室に向かう。その頃には痛みは強烈なものになっていた。

 翌朝、陣痛が最高潮に達していた頃、看護師さんが、「部屋の人たち、みんな心配してたよー。津村さん、どうですかって」と声をかけてくれる。本当に嬉しかったし、力づけられた。痛みのあまり、分娩着のボタンを掛け違えた私を、「津村さんたら、これ、3歳児の着方よ〜」と笑ったり、床に転がって苦しんでいたら、「あらー、津村さんたら、そんなとこに寝て。だめやん〜」とボケたコメントをしたり(笑)、とても食べられないけれど朝食に出ていたりんごをむいてくれたり、最も痛みがつらいとき、優しくそばにいてくれた感じがする。

 さて、分娩室へ。助産師になる実習生の若い女性もふたり、立ち会っている(余談だが、助産師は実習段階で10例のお産を体験しないといけないそうだ。お産が少なくなった現代では、これは結構大変なことらしい)。助産師の顔を未だに私は忘れていないが、丸いめがねを書けた、素朴で温かい、それでいてきっぱりとした感じの人だった。別の看護師が、「津村さん、安心して。○○ さんはね、安産の神様って言われてるねんよ」と大きな声で教えてくれる。ものすごく安心できる一言だった。私は、この安産の神様のてきぱきとした、見事な誘導で、無事に出産をする。今思い出しても、見事という表現をするしかない、あっぱれなものだったと思う。

 「本当にいいお産だった、津村さん!冷静なお産で、教科書のようにスムーズに進んでいったから、実習生は感動していたくらいよ」。安産の神様は、お産を終えて、ぼうっとしている私にそう声をかけてくれた。その言葉は、どれほど嬉しく私の胸しみたことか。

 ストレッチャーで病室に戻ると、同室の人たちが拍手と歓声で迎えてくれた。
その夕方には、実習生が帰りがけに、「良いお産に立ち合わせていただいて、ありがとうございました」と声をかけに来てくれた。彼女たちは若く、経験がない分、本当に一生懸命で、その思いがこちらにも伝わってきた。授乳室でも、生まれたての娘に優しく声をかけてくれたりしたっけな。

 翌日には、切迫早産で動けない同室の彼女らの雑誌や雑貨の買い物を引き受けて、私は地下の売店に出かけたりしていた。私も、子育てのことなどをいろいろ教えてもらったり、とてもお世話になっていたのだ。それを見た看護師さんが笑って、「津村さん、気をつけて行きなよ〜」と言ったこともあったけれど、彼女らとは、退院後も会ったり、随分楽しくおつきあいさせてもらったものだ。

 あのときに生まれた愛娘は、来年にはもう成人するのだ。月日の流れには驚かされるが(考えたら、女性ライフサイクル研究所に関わってはや17年!)、あの頃のことを思い出し、しばし温かい気持ちに包まれていた。

 これを少し助産師の卵さんたちに講義で話してみたら、食い入るように聞き入ってくれた。後でこの学校の先生が、「妊産婦さんの生の声を聞くことは貴重でした。私たちが講義で、あなたたちの言動は大きな影響があると伝えていますが、きっとそれより効果があったと思います」と言われていたけれど、もちろん大病院なのだから、マイナス?の援助を受けたこともあり、それについても彼女らには伝えさせてもらったが、個人的には、当時、私はそれほど嫌な思いばかりしていたのではなく、良い体験もしていたことを実感することができて、感謝したい気持ちになった。

 あの安産の神様は、今も産婦さんを安心したお産へと導いているのだろうか。実習生たちは、ベテランの助産師さんになっているだろうか。同室の仲間たちと、その子どもたちは元気にしているだろうか。

 私も、ここに元気で生きています。(2007年6月)