スタッフエッセイ 2007年5月

歴史と自然を体感する〜鞍馬山にて

安田裕子

 鞍馬山にのぼった。鞍馬山は京都にある山である。大阪と京都を結ぶ京阪電鉄、最北端の出町柳駅から叡山電鉄に乗り換えて、終点鞍馬駅で降りたところにそびえたつ山。駅周辺にはちょっとした店が軒をつらね、GW真っ直中の晴天の一日、大勢の人でワイワイとした賑わいをみせていた。甘い物など美味しそうな食べ物が店の軒先に並び、くいしんぼうの私は、ついつい目が奪われる。でも、腕によりをかけたお弁当持参の山登り。おやつはまたあとで、と自分に言い聞かせて、山に向かった。

 鞍馬山は、源義経こと牛若丸(幼名)で有名な山である。牛若丸は、母の常磐御前(ときわごぜん)が、源氏の敵方である平清盛に身を任せるのと引き替えに、その命をながらえたという。その後7歳の時に鞍馬山に預けられ、昼間は学業に励み、夜が更けると天狗に兵法や剣術を習う日々。後に、兄源頼朝が平家打倒の兵を挙げると、それに馳せ参じ、いくつかの合戦を経て平家を滅ぼし、その最大の功労者となる。しかし、兄頼朝の許可を得ることなく官位を受けたことでその怒りを買い、兄と対立し、結果、頼朝の配下の攻めにより、自害したという。そんな義経の波乱に満ちた人生を思いつつ、鞍馬の山に入っていった。

 単に歴史上の話としてみれば、義経は遠い存在となる。しかし、鞍馬山に預けられた彼は、ひとりの幼い子どもだった。その幼子牛若丸が、時代の流れに翻弄され、父母と離れて単身で山に入り、修行を重ねたということ。思慕の念を抱いた兄頼朝の迫害を受け、最期を迎えたということ。そうした、あるひとりの人間、源義経が歩んだ道という視点から歴史を捉え直したとき、その縁の山に立っている自分自身の身が、キュッと引き締まる思いがした。

 このように、多くの人々が、程度の差こそあれ、また、そのかたちは様々であるにせよ、歴史の動乱の最中にあった義経の数奇な人生に思いを馳せながら、鞍馬山に足を踏み入れてきたのだろうか。そう考えると、義経の息づかいや足跡とともに、そうした市井の人々の様々な思いや経験も、鞍馬の山に沈み込み溜めこまれているような気さえ、した。

 とはいえ、鞍馬山では、お弁当を食べ、新緑を楽しみながらの山歩きというように、基本的には楽しいハイキング気分。とりわけ、山の中にある「木の根道」と呼ばれている場所には、木々の溢れんばかりの生命力や自然のおもしろさを感じた。根っこがウニョウニョ這いつくばるかのように、びっしりと地表にはびこっている「木の根道」。その辺りは岩盤が地表近くまで迫っているために、木の根が地中深く入り込むことができず、根が地表に露出した状態になっているのである。その様子は見事。ただでさえ凸凹の多い山道だが、木の根っこのでっぱりの激しいモコモコ道に、足もとをぐらつかせながら歩くのは、なんだか楽しかった。そんなデコボコの山道をおりている途中、膝がガクガクと笑いだす。この感覚は久しぶり。運動不足のなせるわざ(笑)。この調子だと、明日は筋肉痛だろなと思いながらの、楽しい山歩きだった。

 ところで、この日、天気予報では、おひさまマークだけの、快晴の一日のはずだった。なのに、山をほとんどおりた頃だったが、雷がゴロゴロ、雨がパラパラ。それでも、木々が雨を防いでくれるね、といいながらの山歩き。それもまた一興。

 山の天候は変わりやすいという。結局その後、雨は激しく降り出した。山の精が天候を変えたんかなぁ、などと漠然と思いつつ、空を眺める。そんな風に思ったのは、義経の足跡を辿りながら、幼少の牛若丸を迎え入れ育んだ鞍馬の自然の恵みを、体感してきたからなのかもしれない。時勢に翻弄されつつも豪快に生きた義経、彼に思いを馳せながらここにやってきた人々、各時代の色々な人々の思いや経験の重なりとつらなり、それらを迎え受けすっぽり包み込んできた鞍馬山。そんな鞍馬の山の、みずみずしくキラキラした新緑に囲まれて、歴史と自然を感じることのできたひととき。いい時間だった。

(2007年5月)