スタッフエッセイ 2007年4月

未来予想図

下地久美子

 父が、定年退職したのは、7年前だった。これまで仕事人間だった父が、日がな一日、家にいたらどうなるのだろうと、私と母と妹は、相当心配した。父は、元々社交的ではなく、無口で、人と会うよりは、家で本を読んでいたいというタイプ。近所に友人はもとより知人もいない。そうなると、自分の世界にひきこもってしまって、うつ病、さらには認知症になりはしないかと冷や冷やした。
 案の定、定年後すぐに、父は心臓発作で倒れて入院。退院後、今度は、胃潰瘍で入院することになった。健康を気づかうあまり、好きだったゴルフや麻雀からも遠ざかり、ますます家でぼんやりと過ごす毎日。まず、母が音を上げた。「毎日、あんな陰気臭い顔で家に居られたら、お母さんが、うつ病になるわ!」。そして、母のグチに付き合う私たちもブルーになった。

 そんなわけで、私と母と妹の間で、「お父さん社会化プロジェクト」が密かに動き出した。
まず、犬を飼った。ミニチュアダックスフンドのメスで、「モコ」と名づけられた。人間には関心のない父も、モコとは気が合ったようで、モコの後を追いかけて散歩に出るようになった。娘の私たちもこんなに可愛がってもらった憶えはないなと思うほどの愛情のかけようで、家の用事は何もしない父もモコの世話だけはこまめに焼いていた。このモコの貢献度は非常に高く、犬を連れて散歩をしていると、自然と愛犬家仲間もできた。何より、老夫婦の間で、モコの話題ができ、「熟年離婚」の危機が回避された。

 次に、妹が父と一緒に、地域の「中国語サークル」に参加することになった。仕掛け人の妹は早々にリタイアしてしまったが、コツコツ勉強するのが好きな父は、すっかりはまってしまった。朝から晩まで中国語のテープを聴き、NHK「中国語講座」の熱心な受講者となり、めきめき上達した。「中国語サークル」の先生の紹介で、「漢詩教室」や「太極拳」にも通い出した。趣味が同じだと気が合うようで、サークル仲間もできた。高齢者の多いサークルの中では、70代前半の父は若手らしく、今では、サークルの代表をしていて、新メンバーの受付や教室の予約と、忙しくしている。意外に父は、人の世話をしたり、人をまとめたりするのが好きだったんだと、家族が一番驚いている。最近では、中国語通訳のボランティアまでしているそうで、真面目に続けるというのはすごいおまけが付いてくるものだと、我が父ながら感心している。

 さて、自分自身を振り返ってみると、私には趣味もなければ特技もない。小学生のときに習っていたピアノは、黄バイエルの途中だし、習字も初段止まり。中学時代は、水泳部だったが、平泳ぎはできないし、クロールで25メートルを泳ぐのがやっとという有り様。
 高校では茶道を少し齧ったが、お茶を飲む作法も怪しい。大学時代にテニスとスキーの同好会に所属していたものの、卒業以来やったことがない。社会人になってからは、ゴルフと英会話を習っていたが、どちらも人に笑われるほどの下手さ加減。結婚後は、パン教室に通っていたこともある。教室仲間が、次々と自分で「パン教室」を開いているのに、私は家で数回パンを焼いたっきり、パンこね機も知人に売り飛ばす始末・・・。
 書いてて、自分でも情けなくなるほどの中途半端な趣味の変遷だ。長い老後は、いったいどうなるのだろうと、ちょっと不安になった。

 先日、岩波新書の『定年後−豊かに生きるため知恵』という本を読んだ。定年退職者へのインタビューの記録がまとめられた本だ。それによると、20歳から60歳まで働いた場合の労働時間の総計が8万時間で、定年後80歳まで生きたとして、その余暇時間の総計は8万時間になるそうだ。この長い老後を、生かすも殺すも自分次第というわけだ。本に登場する老後の達人たちは、地方に移住して農業をはじめた元会社員もいれば、技能を活かして海外で働く技術者もいた。60歳で卓球をはじめて95歳まで「ベテラン卓球選手権」のチャンピオンの座を維持する女性。80歳で世界各地を旅して旅行記を上梓した男性。NPOを立ち上げて、地域で活動する人。これまでの職歴とは全く畑違いの趣味の料理店を成功させた人などなど。上には上が居るもんだなぁと、ため息が出た。それと同時に、年齢に関わらず、新しいことに挑戦しようとする人々の姿に感動した。

 人は、いくつになってもやれるものだ。私の未来予想図は、まだ白紙だけど、今から少しずつ準備をはじめて、楽しい老後を生きられるといいな・・・。

(2007年4月)