スタッフエッセイ 2007年3月

嬉野の「命の水」

村本邦子

 嬉野温泉へ行った時のこと。嬉野と言えば温泉豆腐だが、『まっぷる』に「抹茶豆腐」というのが取り上げられていたので、今回はこれを試してみることにした。嬉野の街は、何だかよくわからないけど、一種独特の不思議な雰囲気を持つ街だ。街中にある「板前東屋」を訪ねる。夕方5時頃、開店一番乗りだったので、お客は誰もいない。嬉野はお鮨も結構いけると聞いたので(勝手に山のイメージを持っていたけれど、案外、海に近いのだ)、握りと抹茶豆腐を頼む。

 手持ちぶさたなので、机の上に積んであるサイン帳を見る。それによれば、料理がとってもおいしいらしいが、ここでは、「命の水」とやらをもらえるらしく、そのことへの感謝がたくさん記されている。「何のことだろう???」と訝しんでいるが、料理を運んできた板前のおじさんが話し出した。

 その昔、このおじさんはかなり大きな交通事故に遭って死にかけた。頭が割れてへこんで、万が一、助かっても植物人間状態と言われたそうだが、夢に裏にある「お湯の神様」が現れて、「お前はもっと生きて、人のために尽くせ」と語ったそうだ。意識を取り戻したおじさんは奇跡と言われたそうだが、それからおじさんは、温泉豆腐の水づくりに精を出した。「お湯の神様」とは、東屋の路地裏にある薬師如来。湯屋のそばにあった大きな楠が対象11年の大火で消失したが、燃え残った木片で掘られたものだそうだ。

 板前だから食べ物を通じて人に尽くそうと考えたのだろう。何しろ、ここは明治の中頃から続く温泉湯豆腐の老舗。20年間、豆腐に合う温泉水を研究し、カルシウムを含む食材を加え調整することで理想の味にたどりついたという。こうして出来た温泉水をお客さんに求められて差し上げているうちに、それが奇跡のような働きをすることがわかったという話らしい。おじさんの父親である90何歳のおじいさんも途中で出てきたが、かくしゃくとして、虫歯の一本もないそうだ。

 心臓病やら癌やら、さまざまな難病を抱えた人たちの家族が、遠くからお水をもらいにきて、長生きをしているという。たしかにサイン帳に書かれているのはそういった話だ。研究者やマスコミも何度かやってきて取材したが、なぜだか公開されないらしい。たしかに、この「湯の端お茶豆腐」については頻繁に紹介されているが、「命の水」の方はどこにも紹介されていない。従弟の京大病病院の先生から「特許を取って水を売ったら?」などとも言われているが、豆腐を食べに来てくれたお客さんにペットボトルで1本無料で差し上げているだけという。

 私もラベルをはがした古いペットボトルに1本、「命の水」を頂いたが、この地味さ加減がマスコミでブレイクしない理由のような気がする。でも、私は、この地味さ加減が気に入った。サイン帳を読んでいて思い浮かぶのは、家族を思って遠くからやってくる人たちの思い。そして、温泉の神様の夢を守って、水を作り料理を作り続ける職人気質のこのおじさん。なんかいいな〜と思う。この水を朝夕、おちょこで一杯ずつ飲むといいんだそうだ。飲み終えたが、効果はいかに!?

 ネイティブ・アメリカンのリザベーションでも、不治の癌の病床で神のお告げを聞き、そこから突然回復し、現在はヒーラーとして働いている女性と出会ったことがある。この手の話を私はそのまま信じるわけでもないが、そんな場でいったいどんなことが起こっているのだろうということには、とても興味がある。「嬉野をフィールドにして研究したら、温泉に通えるなぁ・・・」などと考える私は、やっぱり動機が不純だ。東屋の隣の「古湯」が近く再建されるそうだ。

(2007年3月)